2009年08月の日記

近所にやってきた人たち
2009.8.31[Mon]
「あ、あたし? 別にあたしのことはいいからさ、とにかく聞いてよ。この前あんたに言い寄ってきた女いるでしょ? あいつの言うこと信じちゃダメだよ。あいつ、言ったことは守らないし、なにより言うことに責任もたないし、都合のいいことばっかり言うんで有名なんだから。この前だって、あいつのせいで友達がひどいめにあったばっかりでさ、ほら、ニュースでもやってたじゃん? え? あたしはそんときなにしてたかって? そりゃ頑張ってたに決まってるじゃん。なにをどうって……ま、そんなことより、とにかくあたしがいいたいのは、甘い言葉に騙されるなってこと。とにかくあたしを選んでよ? お願いね?」

これがある日の、Aさん。

「あの子の言うこと、真に受けないでくださいね? 私は、私が正しいと思ったことをしてきただけで、すべて、あなたのことを思ってやってきたんですから。だいたい、あの子ときたら、いつもいつも都合のいいことばかり言って、あなたの気をひくばっかりで、実際はわたしの邪魔をするばかりなんですよ? そうだ、この前なんてひどいと思いませんか? せっかくわたしが頑張ったことを、全部台無しにするようなことをして……そんな子を選ぶなんて間違ってますよ! とにかくわたしを選んでくださいね!」

そして別の日の、Bさん。

ここ数日、そんなのばっかりだったんですが、ようやく終わりました。
なにがって、選挙演説です。
小さいとはいえ駅前に住んでいるので、聞こえてくることも多かったんですよね。

女の子の台詞っぽくアレンジしていますが、とにかく今回の選挙演説に関しては、他の党を貶す言葉の多いことが印象的でした。
自分のいいところを訴えるのではなく、他者を貶める言葉を羅列し、それでいて、自分を選んでくださいと言う。
一番失笑したのは「あんな甘言に騙されないでください。耳障りの言い言葉に騙されないでください」という言葉でした。本当にあった言葉です。

「初めまして。わたし、料理はさほど上手じゃないけれど、掃除は好きだし、結構上手だと思います。洗濯なんかも好きなので、いつも綺麗な部屋と服を用意することが出来ると思います。あなたに選んでもらえたら、料理もいまより頑張って覚えるつもりでいますから、よろしくお願いします」

こんな演説があったら耳を傾けていたかもしれませんが、実際はAさんやBさんばかりでした。

でも、それも昨日で終わりです。

メールてんてこまい
2009.8.26[Wed]
10年以上もネットをやっていると、気付けばかなりの数のメールアドレスを所有しているものです。
プロバイダがくれるアドレス、メッセンジャー系のサービスに登録するともらえるアドレス、ちょっとした転送用のアドレス、仕事用にいただいたアドレス、自分で用意したサイト管理用のアドレスなどなどなど。

その中でも、8年ぐらい使っていて、かなり重宝=いろいろな所に登録していた転送アドレスのひとつが管理セキュリティ上の都合からドメイン部分が変更になる、という連絡が来ました。
ドメイン部分というのは、いわゆる @ で区切った後半のところで、わたしがこのサイト用に使っているものでいえば pandora.nu にあたる箇所です。

さあ大変。たかだかメールアドレスの数文字が変わるだけ、といえばそれまでですが、基本的にメルマガなどの購読用に使っていた転送アドレスだけに、かなりの箇所に登録してあります。それら全てのサービスに対して新しいメールアドレスを登録しなおさなくてはならなくなりました。
でなければ、行方不明になるメールが大量に出てしまいます。

自分でも覚えていないぐらい古いサービス、使っていなかったサイト、いつのまにか閉鎖していたショップ。
転送アドレス宛に届いていたメールすべてを差し出しアドレス別にソートして、現時点での自分に必要か不要かを判断した上で、必要であればメールアドレスの更新、不要であれば退会や購読中止といった処理を行う、という作業に追われることになりました。

まるで引っ越し作業です。

ようやくその作業に終わりが見えてきて、せっかくなのでこの話を書き留めておこう、ということでこうして更新しているのですが、しかしながら、メールアドレスという数十文字の羅列が、いかに自分にとって大切なものであるか、というのが身に染みました。

誰もがメールアドレスを持っている時代、場合によっては自分のように複数のアドレスを用途によって使い分けている人も多いのではないかと思います。
プロバイダなどが配布しているアドレスなどはよほどのことがない限りは平気でしょうが、たとえば無料サービスなどで取得したアドレスは、ひょっこり使えなくなったり変更になってしまうこともあるものです。

なんとなく取得して、なんとなく使っているうちに結構重要な役割を担っているアドレスがある、なんて場合もあるかと思います。
それがいきなり、使えなくなるとなったら。

自分がいままさに、そんな状態です。

仕事で
2009.8.24[Mon]
いくつか仕事が重なって、ここ最近は少しばたばたとしています。

「やるべきこと」「すべきこと」

「やっておいたほうがいいこと」「したほうがいいこと」
は、違います。
そして、
「やりたいこと」「したいこと」
も当然違います。

限られた予算や期限があるのですから、見切りや妥協は当然必要になってくるのでしょうが、それでも、自分に出来ることがあって、それをすればより良い物が出来上がると分かっているのであれば、可能な限りそれはすべきだと思っていますし、実際、そうしています。
昔の自分では気付かなかったことが今なら分かる、ということは、きっと今の自分も将来の自分からすれば、まだまだ未熟なのでしょう。
それでも、そんな自分でも、努力をすれば、それによって喜んでくれる人がいるのだと思えば。

物作りにおいて、自分の本質は物書きだろう、と常々思っています。
でも、ムービーを作ったり演出をしたり、その他いろいろなことをしてきたことにより、色々な得難い物を吸収できたのだな、と仕事をしていて感じることは、喜びです。

様々な視点から物事を見て、考え、気付くことができるのは、それまでの経験があればこそで、それが今の自分を助けてくれたりもします。

もちろん、つらいこともあるけれど、いまの仕事、好きなんだなぁ。

彼の理屈 彼女の理屈
2009.8.17[Mon]
日々、過ごしている日常の中で、思ったことはありませんか。

「なんであの人はあんな簡単な事ができないんだろう」

そして同時に、同じようなことを言われたことはありませんか。

「なんでこんな簡単な事ができないの?」

でもそれは「それが出来る人」の理屈、感覚だと思うのです。

人には得意なこと、苦手なことがあります。
料理が出来る人にとって、余り物でおかずを作ることは難しいことではありませんが、出来ない人にとっては野菜の皮を剥くことすら簡単ではありません。
水泳だって、裁縫だって、車の運転だって、学校の勉強だって、恋愛だって、食事のマナーだって、手紙の書き方だって、なんにだって、それぞれに個人個人のスタイルがあり、スタンスがあるとは思います。
たしかに、それぞれに「うまさ」の基準はあるのかもしれません。早く泳げたり、綺麗に縫えたり、車庫入れが上手かったり、テストで良い点がとれたり、いつも恋人がいたり、綺麗に魚が食べられたり、字が綺麗だったり。
でも、そうではない人だって、もちろんいる。

煙草を吸わない人が喫煙する人を毛嫌いする感情は分かりますが、喫煙していた人が禁煙に成功した途端、喫煙する人を見下しているのを見ると、とても嫌な気分になります。

「禁煙なんて簡単だよ。こんなことも出来ないの?」

煙草をやめる、ということがどれほどの苦労をともなうことなのか、わたしには分かりません。だってわたしは煙草を生まれてから一度も吸ったことがありませんから。
人混みでの歩き煙草や吸い殻のポイ捨ては論外としても、マナーを守って喫煙している人と、そういう人に対して上のような言葉を投げかける人、私は後者のほうが苦手です。

ドラッグに手を出した、ある犯罪者が「どうしてこんなことをしたのか」と問われて言いました。

「生きているのがつらかった」

でも、世の中にはあなたと同じか、それ以上に辛くとも、罪を犯さず懸命に生きている人たちがいるのではないでしょうか。
あなたの言い分は、そんな人たちを侮辱する言葉ではないかと、わたしは感じてしまうのです。
あなたはつらかったのではなく、弱かったのじゃないか、と。

けれどそう思うのは、紛れもないわたしの理屈。

サマーウォーズ
2009.8.10[Mon]
映画、サマーウォーズを見てきました。
わたしはこの作品の監督である細田守さんが、同じく監督をつとめられた「劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」という作品を見て、いたく衝撃を受けました。
これはある意味、物作りにおけるひとつのターニングポイントだったんじゃないかな、とすら思うほどに、です。
「時をかける少女」もやはり好きなのですが、どちらかというと作品の雰囲気に「冒険活劇」的なものが色濃くないため、面白かった、というよりも、素敵だった、という感想が当てはまります。

さて、サマーウォーズ。
公開前にはいろいろと宣伝を見かけることも多かったのですが、わたしはそれらを全て自らシャットアウトして、公式サイトすらろくすっぽ見ずに、やってる劇場と時間のみを調べて出かける、という「予備知識シャットアウト」を徹底して見てきました。

もんのすげーおもしろかったです。
劇場を出た後も、様々なシーンに対しての解釈、感想、想い、感動が湧きだし続けて、その日一日はあれこれと考えてしまいました。

ものごとを「面白い」「面白くない」と自分の価値観で決めるのは、わりと簡単です。ですが、それを誰かに伝えようと思った時、それは一気に難しくなります。
わたしはこの映画を「面白かった」と人に勧めていいものか、といわれると悩んでしまいます。それは、面白かったと人に伝えた時点で、その人のなかに「この映画は面白いんだ」という知識を与えてしまうから、なんだと思います。
もっとも、面白かったものを面白くなかった、といえるはずもなくて、そんな状況で生まれた言葉が「騙されたと思って、一度試してご覧よ」なんじゃないかな、と思ってしまうほど。

砂漠を旅していて咽がカラカラな時に飲んだぬるい水と、朝起きてなんのきなしに冷蔵庫から取り出して飲んだミネラルウォーター、どのどちらが美味しいと感じるかは、言わずもがな。
友達が恋人を紹介してくれる、となったとき、その友達が「うちの彼氏はすごく優しくて格好良くて素敵なんだよ」と繰り返し言っていた場合と、いきなり「紹介したいんだけど、今から会ってくれる?」と言われた場合では、相手がまったく同じ男性だった場合でも、いだく第一印象もまったく同じである、と言い切れるでしょうか。

状況、環境、精神状態、それが変われば、対象がまったく同じものであっても、それに抱く感想は変わってしまうと思います。

サマーウォーズの事前情報をいっさいシャットアウトして見に行ったのは、たとえば関係者のインタビューや映画評論家の感想などで「見所はどこそこ」なんて書いてあったのを目にしたら「ああ、じゃあそういうシーンが見所なんだ」とか「なるほど、ここが見せ場なのか」なんて意識が、心の隙から湧きだしてきて映画を心底楽しめないと思ったから、というのもあります。

映画が始まって終わるまで、席に座ってから飲んでいた水も、食べていたポップコーンにも一切手をつけることなく、約2時間、わたしはその世界を堪能することが出来ました。
これは、とても幸せなことだったと思います。

無知は罪である、なんて言葉もありますが、映画や漫画を心底楽しみたいと思ったとき、その作品の知識がからっぽであればあるほど楽しめるのではないでしょうか。
そして、本当に優れている作品は、どんな人であっても感動させられる力をもっているのだと思います。

レインタクト 16幕
2009.8.2[Sun]
中高一貫で寮もある学園が舞台の少女恋愛物語・レインタクト、最新エピソードである16幕が、

■Angel Garden■

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年内完結に向けて、月1ぐらいのペースで寄稿していけたらいいな、という目標のもと、こつこつとやっています。
レインタクトは寄稿が4年間とまったいた時期があったわけですが、停滞していたときは、自分自身「このまま未完になってしまうのでは」という不安がまるでなかったわけでもありません。
ですが、執筆が再起動したあとは、それなりのペースを維持して書けています。

ながいこと出番の少なかった芹菜ですが、ここ数幕では出番も増えて話を引っ張る形になっています。

恋が実るまで、と、恋が実った後、そのどちらにも物語があるわけで、そのどちらにもドラマがあるのだと思います。

雨はまた、降るのでしょうか。

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