2009年10月の日記

及川光博
2009.10.26[Mon]
好きなんですよ、ミッチー。

デビュー当時から好きだったし、ビデオやらCDを購入して、カラオケに行けば「死んでもいい」とか「フィアンセになりたい」とか歌っていたんですが、なによりも決定打だったのが、8年ぐらい前に出会ったライブDVDの存在でした。
当時、会社がなくなって仕事を失い、どうしようかなと途方に暮れていた時に、ふらっと立ち寄ったショップで何気なくDVD「誰にも言っちゃダメだよ」を購入してなかったら、きっと今の自分はなかっただろうなぁ、という言うぐらい、このDVDには精神的に支えられました。

笑顔が笑顔を生むっていうのはこういうことなんだなぁ、と見るたびに思います。写真は家にあるDVDずらっと並べてみました。

いい男って、素晴らしい。

名付け
2009.10.19[Mon]
ゲームの登場人物に名前をつけられるものが好き、といったような話は以前にもここに書いた記憶があるのですが、ゲームのキャラクターに限らず、なんとなく名前をつけているものがあります。
それは、PCのHDD。いわゆるボリュームラベル、というやつです。
基本的にわたしは「Cドライブ」「Dドライブ」「Eドライブ」という三つにわけて使っています。実際には3台ではなく、パーティションを区切って2台を3つのドライブにわけているのですが、

CドライブにOSや、Cドライブでないと不都合があるアプリケーションなど。
Dドライブにアプリケーションやゲームなど。
Eドライブにマイドキュメント(テキストのデータや、このサイトのローカル保存)やバックアップ関連。

という分け方をしていました。なので、基本的にはCやDが吹っ飛んでもEさえ残っていれば環境の再構築は簡単で、かつ、Eドライブ自体も丸ごとバックアップを取っている、という感じです。

で、ここ何年かはずっとCドライブから順番に、
nozomi
kanae
tamae
という、分かる人には分かってしまうネーミングで使っていたのですが、ちょうど一年ほど前にPCを新調した時(このサイトを立ち上げる少し前のことです)に、今までのマシンをサブマシンにそのままスライドさせた結果、新たにCDEのドライブに対して、
kouko
satuki
rii
としました。
こちらは分かりやすく、さえずりのヒロインたちの名前です。

実際のところ、この名前でドライブのことを呼ぶことは全くないのですが、せっかく名前をつけられるのだし、と思ってこんな感じになっています。
system なんて名前にしてしまってもいいとは思うのですが、それだと味気ないし、なんて思ってこんな感じがずっと続いています。
ちなみにバックアップ用のHDDはbackupという名前で、これだけは非常に単純かつ分かりやすい名前になっていたり。

10年以上PCを自作してきて、マシン自体に名前をつけたことはないのですが、何故かHDDには名前をつけてしまいます。

先週のHDD不調は無事に解決したのですが、その流れで我が家に新しくHDDが増えました。
さて、この助っ人にはなんと名前をつけましょうや。

青画面
2009.10.12[Mon]
以前、転送メールのアドレスが変更になった時の騒動に関してここで触れましたが、それと似たようなことで、PCがぶっ壊れたら自分はどうなるのだろうなぁ、というお話。

じつはここ一ヶ月ほど、自分が管理しているPCのうちの一台が不調で、厄介なことにHDDの調子が悪いらしく、ここ数日はついに青画面を連発するようになってしまいました。
うちにあるPCの中ではかなりの古株で、実働期間は五年ぐらいになり、HDD自体はその前から載せ替えてつかっていたはずなので、そろそろ……といってしまえばそれまでなんですが。
明日はデータのサルベージや復旧作業で一日もっていかれることになりそうです。

便利なものに慣れてしまうと不便だなぁ、というのはまさにその通りで、昔に比べて壊れたら取り返しが付かないことが多くなったな、と思います。
昔はフロッピーだったのがCD−RになりDVD−Rになり、今ではブルーレイなんてものまである世の中です。保存できるデータの容量が大きくなればなるほど、そこにしまわれる情報量も増えるわけで、壊れて失うものの量も多くなる、ということになります。

わたしは携帯電話がなくなってもさほど困らないタイプですが、明日いきなりPCが起動しなくなったらと考えるだけで暗澹たる気持ちになります。一応ノートPCなどいくつかの予備、保険はありますし、本当に重要なデータはバックアップをとっているものの、昨日まで当たり前のようにあった環境がいきなりなくなってしまう、というのは正直立ち直れないことでしょう。

手描きの日記帳は燃やしたり破いたりしなければずっとあり続けるものだけれど、今こうしてこうして更新している雑記は、ふとした拍子に消えてしまう可能性だってあることを思えば、なんて便利で不便な世の中に生きているんだろうと少し切なくなります。

リスクとリターン
2009.10.6[Tue]
何事にもリスクはつきものです。そして、物事は基本的に、リスクが高いほど見返りが大きいものです。
ハイリスクハイリターン。
分かりやすいところで言えば、カジノなどに良くあるルーレットでは、0と00を除いた場合、赤と黒が出る確率は半々で、それを当てても賭けたコインは倍にしかなりませんが、数字をずばりと当てることが出来れば、もらえる配当はズガーンと増えます。

ローリスクローリターン(上で言うルーレットでいうなら、配当は低いが確率が高いもの)をこつこつとやっていく人もいれば、ハイリスクハイリターン(ルーレットで言うなら数字一点賭け)を好む人もいます。
そういったニーズの違いに1つのゲーム内で柔軟に対応しているからこそルーレットというゲームが長く愛されているのではないかな、と思います。

テレビゲームにおいて、効率を重視する、というのは意識的にせよ無意識にせよ行われていることで、例えば、ドラゴンクエストというゲームにおいては、自らの強さを表すレベルをあげるために稼ぐ経験値を、多く落とす敵が存在します。俗に言う「メタル」系といわれるこれらの敵は、出会う確率がそれほど高いわけでもなく、出会ったとしても逃げる確率が高く、その上、攻撃を当てることも難しいという特徴があります。
近年のシリーズ作品では倒す方法が増えたので、それほどハイリスクハイリターンというわけでもなくなったようですが、昔のドラゴンクエストにおいてメタル系を倒せるかどうかは本当に「運」の要素が大きいものでした。だからこそ倒せたときの喜びも大きく、それは、数多くの経験値というハイリターンとして、プレイヤーに恩恵を与えたものです。
では、メタル系にリスクがあるのか、というと、それほどリスクがあるわけでもありません。
倒せないほど強い敵と一緒に現れたりだとか、そういうこともなく、せいぜい逃げれたり倒せないとその分の時間が無駄になってしまう、というものですが、一匹倒すとかなりのリターンがあるのですから、結果としてあまりリスクはないことになります。
ドラゴンクエストシリーズがいわゆるゲーマーだけでなく、普段あまりゲームを遊ばない人からも受け入れられているのは、リスクとリターンの関係はそれほどシビアではないから、というのも一因なのではないかな、と思います。

世の中のゲーマー向けのゲームにおいて、リスクとリターンはもっとシビアで、言うなればとてもマゾいもの。個人的に、ゲーム内でのハイリスクハイリターンの代表というと、武器や防具などを鍛える行為を思い浮かべます。
ネットゲームの類にはよくあるもので、装備品に対してお金や貴重なアイテムなどを素材として提供し、鍛え上げることが出来ます。
成功すれば強い武器が完成し、より強い相手と戦ったり、今まで互角だった相手を楽に倒せるようになるものの、失敗すれば素材となった武器やお金は返ってこない。
ゲームにもよりますが、これはとてもリスキーで、ほんの数分で数十時間かけて集めたアイテムが跡形もなくなる(溶ける、なんて表現もしますが)なんてこともあります。
しかし、それでも成功すればとても強い武器が完成するのも事実で、ほんの数%しか成功の確率がなかったとしても、そこに挑戦してみたくなってしまう、悪魔の手招きのような魅力があるのも事実なのだと思います。

ドラゴンクエストとネットゲーム、どちらのバランスが良い悪い、ということではなくて、そういう選択がゲーム内で選べること、また、それがゲームの本筋とは関係のない部分であればあるほど(レベルを上げる手段はいくつもあるし、武器や防具を強くしなければエンディングが見れない、ということでもないのであれば)それはゲーム内での自由度であり、よりそのゲームを魅力的なものにしてくれるのだろうなぁ、と思います。

なんでもそうですが、ギリギリだと分かっているものをやりきったときの快感というのは、クセになるものですし。

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