2010年03月の日記

とりとめない話
2010.3.31[Wed]
そういえば先週の話は、エイプリルフールが近い今ぐらいにこそ話す事だったのではなかろうか、と先週の雑記を読み返して思った次第です。

ということで、読み返し、から話題をつなげてみますと、私は自分が書いた文章を読み返すことが好きな方です。
執筆作業においては、誤字脱字などのチェックはもちろんのこと、多いときでは一日に数十回と同じところを読むこともありますし、言葉の響きやリズムを確かめたいと思えば、声を出して読むこともあります。数日経ってから改めて読み返す、ということもします。

私は「したことがある」「食べたことがある」という結果はわりと良く覚えているくせに、ではそれが「どういう内容だったか」「どういう味だったか」というところになると、思い出せない、ということが多々あります。
分かりやすく言うと「××というゲームはクリアした」ということは覚えているのに「××というゲームの内容」に関してはまったく記憶にない、ということは日常茶飯事です。これはゲームに限らず、本や映画、テレビ番組や雑誌なども同様です。

で、これが自分の文章も同様で「書いた」という結果は覚えていても「なにを書いたか」という細かな内容までは覚えていないことも、結構あります。
なので、数年前の自分の文章を読み返すことは、新鮮な感じがすることも多かったり。
自分が追い求めている文章、言葉といった、いわゆる理想の文書形態は今でこそかなり定まっているものの、ここにくるまでには紆余曲折色々あったりで、そのあたりはレインタクトの初期の頃を読み返すと、かなりジタバタできます。
でも、その文章が嫌いかと言えばそういうこともなく、むしろ、あの頃だから描写できたものも多かったと思っています。

真剣に文章と向き合い、自分で物語を執筆するようになってからじきに20年ぐらい経ちますが、自分の中に積み上げていたものが、ときに研磨され、摩耗しながらも今の形になったことと、これからも自分なりの形を追い求めていくだろうことを考えると、自分の事ながら楽しみに感じる部分もあったり。

数年後の自分が、今自分が作っている物を読み返した時に、面白いと感じることが出来るようなものを残したい。

これはけして「自分が面白ければそれでいい」というわけではありません。「面白がる」ではなく「楽しませる」という気持ちを忘れないようにしたいのです。

つらつらとこんなことを思うのも、3月が年度末だからかもしれません。自分は学生であった時間が人に比べれば短いほうですが、それでも、桜咲き暖かくなるこの時期になると、やはりひとつの節目を感じてしまいます。

急に寒くなった昨日、飛来してきたツバメを眺めながら「3月にツバメって珍しいような気がするなぁ。でも、それは自分がツバメを探そうといていなかったからかもしれないなぁ」なんて感じてしまいました。

4月からも、意識する力を、大切に。

嘘つきゲーム
2010.3.23[Tue]
テレビゲームが当たり前の昨今ではとんとお見かけしなくなりましたが、ゲームブック、と呼ばれるものがあります。言葉通り、ブック(本)でゲームをするものです。
一時は本屋に専門のコーナーがあったりもしたのですが、ファミコンなどが普及した影響からか、すっかり見かける機会も減ってしまいました。
ゲームブックは実にシンプル、かつアナログです。
今でこそ、ゲーム自体(プログラム)が勝手に肩代わりしてくれることを、ゲームブックでは人(遊ぶ側)の手で行います。
アイテムを手に入れたらその事を自分でメモしなくてはいけませんし、運が絡む行動があれば、自分でサイコロを振って判定します(偶数なら成功、奇数なら失敗、とかね)
選択肢があれば、それぞれの行動に割り振られた指定の数字=ページまで本をめくって、話を読み続けて、事件なり冒険なりを楽しむものでした。

つまり、自己申告の世界です。

たとえば「目の前に鍵のかかっている扉がある」とします。
テレビゲームの場合ならば、持ち物の管理はプログラムの仕事なので、主人公が鍵を「持っている」「持っていない」は、ゲームが自動的に判断します。それによって「持っている鍵で扉が開きそうだ」とか「扉はびくともしない。鍵を探したほうがいい」などのメッセージが表示されることでしょう。
しかしゲームブックでは「鍵をもっているかどうか」は自己申告であり、その時点で鍵をもっていなくとも、鍵を持っているとゲームブックに対して嘘をついてゲームを続けることができます。

自分は子供のころ、わりと本に嘘をついてしまう子供でした。上記のような「持ち物の自己申告」だけでなく、サイコロを振って判定する場所で、全部成功したことにしてみたり、なんてなこともしたような気がします。
選択肢のあるページに指を挟んで栞がわりにして、その先の展開を両方とも見てしまう、なんて事もしました。これは今で言う「クイックセーブ」と「クイックロード」みたいなものでしょうか。

どのような体験や心理から、そうなっていたのかは分かりませんが、子供のころの自分は「成功しなくてはいけない」という気持ちが強く働いていたのでしょう。いや、むしろ「失敗することが怖い」というほうが正しいのかもしれません。

今になって振り返れば「勿体ないことをしていたな」と思う事もあります。扉をあける鍵がなければ探せばいいのだし、なにかでミスをしても、その失敗を糧としてやり直せばいいのに――――子供の頃の私は、そういった経験をするチャンスから逃げていたも同じようなものなのですから。

ゲームのなかだからこそ、失敗を怖れずに、むしろ失敗することを楽しむぐらいの気持ちで遊ぶことも大切なことかもしれないなと、思ったりもするのです。

2010.3.17[Wed]
どこで聞いた話だったか、
「褒めるときは本人ではなく回りに言う。逆に、相手になにか文句があるのなら、回りに言うのではなく本人に言う」
という言葉を聞いて、なるほどなぁ、と思ったことがあります。

自分自身、面と向かって「あれ、良かったよ」と感想を言われることももちろん嬉しいのですが「○○さんが、あれ面白かったって言ってたよ」と言われると、面と向かって言われるときとはまた違った形で、胸がじんとします。

ネットがどんどんと便利になる中で、自分の書いた文章が思いがけない人の目に触れる場合も増えたんだろうなぁと思えば、何気なく掲示板やらなんやらに書き込んだ一言で、どこかでだれかが一喜一憂しているのではないかと考えてしまいます。

言葉を選ぶときは慎重に。

浮かれて忘れてしまいそうになることもあるけれど、なるべく気を付けて、気を付けて、言葉を選ぶことも多い私です。

「もっと気軽に」なんて言われることもなくもないのですが、それでも、自分の発言には出来うる範囲で責任をもつべきだし、もっていたい。

一番怖いのは、それを怖れるあまりに何も言えなくなることだろうから。

組み合わせ
2010.3.9[Tue]
このサイトの名前を決める経緯を書いたときにも、ちらと書いたことなんですが、自分が思いついた名前やアイデアが世の中にすでに存在しているかどうか、検索エンジンを使って簡単に調べることができる、というのはありがたいものです。

ついさっきも、ある単語の響きと意味を初めて知って「じゃあ似た響きの単語と組み合わせたらそれらしい題名になるなぁ」と思って、試しに検索してみたら、ゴロゴロと出てきました。
世の中には似たようなことを考える人がいます。いるものです。

一応、ここのサイト名 trickletrill で検索すると、基本的には自分に関連したサイトしか表示されません。それはサイト名を付けるときに「他にない名前にしよう」と思って検索エンジンを駆使した結果でもあるのですが、逆に言うと「言葉の響き」とか「字面」が特筆して覚えやすいものでもないため、その点では難儀かもしれません。ちなみに意味はTOPに書いてあります。

「trickletrill」

意味のある単語を組み合わせ、言葉の響きを重視した、という所まではいいのですが、使われている言葉が日常において馴染みある単語ではないですから、覚えやすい、とはいえませんしね。
もっとも、覚えてどうなるということもないのですが。

最近はテレビのCMなどで「詳しくは○○で検索」なんて言葉もよく聞くようになりましたが、○○、という部分に入る単語が覚えにくいものだったら、検索するまでに忘れてしまうでしょうし、かといえってありふれた言葉でも日常に紛れてしまいがちです。

世の中には、単語と単語を組み合わせた名前、というものが数多く存在しているもので、ロープウェイだって、ホットケーキだって、コンビニエンスストアだって組み合わせと言ってしまえば(多少乱暴な気もしますが)組み合わせです。
すでに意味がちゃんと定義されている単語を組み合わせることによって、心地よく、かつ意味が通っている響きと字面にするのは、やはりセンスが大切なんだろうなぁ、と思います。あとは閃き。

ゲームのタイトルでいうなら、ファイナルファンタジーとか、言葉の響き、字面、意味など、諸々考えると素晴らしいタイトルだよなぁ、と思います。

サマーウォーズ
2010.3.4[Thu]
この見出しは過去にもあったような気がしますが、楽しみにしていたBD版が無事に発売、予約していた限定版が届きまして、そんなに大きなインチではないですが、買い換えた液晶テレビとHDMI接続のPS3でもって、堪能いたしました。

事前情報シャットアウトで見に行って感動した劇場版では、色々な想いを抱き、ときに泣きそうになった本作であったがために、泣いてしまうのが怖くて気軽に見られないのではないかという気持ちもあったのですが、いざ届くと我慢出来ないもので、その日のうちに見てしまいました。

で、結果はと言えば、半年ちょっと経って、一体自分の中にどんな心境の変化があったのかは分かりませんが、初めて劇場に見に行ったときとは異なる想い、感想を抱いたことが、自分にとっては思いがけない驚きでした。

劇場版のときは、それほど泣きそうにはならなかったシーンですごく涙がこみ上げてきたり、逆にふと笑ってしまったり。
劇場公開以後、この作品のことについて考える事も多く、また、漫画の単行本などで話を思い返すたびに、おそらくですが、自分の中にそれぞれの人物の気持ちや想いが(あくまでも私自身の想像ではありますが)思い描かれ、構築されていったのかもしれず、そういった「事前情報いっさいなしの一発勝負、映画の公開時間の二時間弱の間ではたどりつくことが出来なかったそれぞれの感情」というものが、わたしのなかに出来上がっていたからなのだろうか、という気がしていますが、本当のところはよく分かりません。

前述の通り、劇場で涙を堪えた身としては、せっかく購入しても何度も見られないのではないか、と思っていたのですが、これからはたびたび見ては、その都度感じる自分の想いと向き合うことで、多少大げさかもしれませんが、自分の生き方や物の考え方などと照らし合わせて、なにがしかを得ていくことができるのかもしれないな、と思います。

にしてもブルーレイって綺麗です。地デジも綺麗だなぁと初めて見た時は感動したもんですが、いやはや、ブルーレイをずっと見ていると地デジが汚く見えてしまうから恐ろしい。

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