2010年05月の日記

ここのところは
2010.5.27[Thu]
火曜水曜あたりに更新をしていたのに、今週は一日ずれ込んでしまいました。すこし私用でバタバタしていたとはいえ、こういうことに慣れてしまうとルーズな行動に慣れてしまうような気がするので、可能な限り戒めていかなくてはいけません。

いくつか話したい事もあるのですが、諸々事情もあって、結局お話できないこと、まだ話せないこと、が多い現状。
「ここだけの話ね」なんて言ってみたところで、インターネットというもの(場所)は、それら全てが「落書き」のように扱われるわけではありません。
いつ、いかなるときでも自分の発信した言には責任をもってしかるべきだと、私は思っています。

実際の対面会話であるなら、相手が目の前にいる以上、ちょっとした雑なジョークを言ったとしても相手の顔色や口調などから判断して、そこから様々な会話に発展させていくことも出来なくはないですが、ネットの書き込みは一言一言が実際は文通のようなものです。
タイムラグは限りなくなかったとしても、自分が発信した言葉を相手がどう解釈するかは、相手の様子が見えなければわかりません。
色よい返答があったとしても、それが文字というデータであるなら、その奥に真意が隠されていたとしても、気づけるかどうか。

ネット上に限らず、不特定多数に対して自らの意見を発信する、ということは、価値観の違う不特定多数の相手が、自分の言葉をその人なりの解釈によって咀嚼することである、と私は考えています。
ブログをはじめ、ツイッターなど様々なサービスによって、上記のような行為がごくごく当たり前の状況になっている昨今ですが、10年以上前までは、こんなこと、誰にでも簡単にできることではありませんでした。
見知らぬ誰かに自分の文章が読まれる機会なんて。

たとえば学級新聞を書いたとしても、見るのはクラスメイトや校内の関係者がせいぜいです。交換日記や手紙のやりとりも、その相手に向けてのもので、さらにいえば日記など、自分にのみ向けて書かれていくもので、全てにおいてその対象は見えています。

けれど、インターネットは違う。ネット上の文章というのは、誰の目にも触れる可能性があるものです。

自分の書いた文章が、顔も名前もしらない誰かの目にとまるかもしれないことを意識している人が、いま、どのぐらいいるのでしょうか。
掲示板の書き込みを「便所の落書き」と称するケースもありますが「誰の目に触れるかもわからない」という意味では、適切な表現だなと思います。
そういう意味では、この文章も「便所の落書き」なんですが、昨今の公衆トイレは綺麗にメンテナンスされているものですから、落書きを見かける機会もとんと減ってしまいました。

ちなみに、人間はトイレにいる時間に目にした文章というのは結構頭に残るものだそうで、そういった理由から、とくに居酒屋などでは個室に広告などを貼っているケースも多いのだとか。
自分も実際、チェーン店の飲み屋のトイレで広告を見かけて、さらにいえばじっくり読んでしまったことがあります。

インターネットでサイトを眺めている時間も、それは個人の時間であって、トイレの個室でリラックスしている時間と、わりと似ているような気もしますが、大切なのは、そういった時間を利用して、今こうして、自分の文章をあなたが読んでいる、ということ。

わたしの文章に目を通してくださって、ありがとうございます。

自分の書いた何気ない文章が、見ず知らずの誰かに影響を与える可能性があること。
その発言が、データとなって永遠に残る可能性があること。

忘れないようにと、私は常々思うのです。

音楽配信で曲を買ってみた
2010.5.19[Wed]
結構前のことになってしまいますが「いばらの王」という映画を見てきました。映画館に足を運んだ理由としては、もともと原作の漫画が好きだったこともありますが、テレビCMで流れていた主題歌のフレーズにとても心惹かれたためです。
映画の内容に関しては、映画館で見終わったあとは「うーん」と思っていたのですが、家に帰るまで、さらには帰った後、あれこれと考えるうちに「もう一度見てみたい」と思うようになったので、おそらくDVDもしくはBDを買うのじゃないかな、と思います。

さて、そんなこんなな「いばらの王」ですが、わたしは映画館で「主題歌のCDが売っていたら買いたいなぁ」と思っていたのです。
パンフレットはもちろんですが、映画館では関連商品も結構取り扱っているもので、サントラや原作コミックなんかが置いてありますから、あるいはCDもあるかな、と思ったのですが、実際は置いてありませんでした。
「はてこれは発売前なのかな」と思って家に帰ってから調べてみると、主題歌「Edge Of This World」は配信専売、とのこと。

個人的に、値段が安いデータ販売よりも、多少高くてもCDを購入したいと思うほうなので、これには「うーむ」と考え込んでしまいましたが(もしかしたらいずれサウンドトラックが発売になったときに収録されるかもしれませんし)「いい曲だしじっくり聞きたい」という理由から、購入に踏み切りました。200円。

昨今、アニメ関連のCDが売れている(というか、一般邦楽のCDが売れなくなった)背景には、わたしのような「割高でもCDという存在を買いたい」と思う層と「少しでも安いならデータでも構わない」と考える層がいて、後者の比率が増えてきたのではないからかな、と思う事も多いです。
アニメのCDともなれば、初回限定や特典などもつきますし、曲はもちろんのこと、そちらのほうがメインになっている事も少なくはないでしょうし。

個人的にデータではなくCDを買いたいと思うのは、物それ自体に対しても思い出が付与するから、だと漠然と考えています。
もしも仮に「いばらの王」の主題歌がアマゾンで購入できたとしても、自分は映画館で買ったと思います。
「映画を見に行き、その帰りにCDを買って帰ったこと」という記憶、さらにいえばその映画の内容、もっといえばその日の出来事まで、そのCDを見るたびに思い出せるような気がするので。
実際との所は、気がするだけなので、はっきりとした因果関係を示すことは出来ませんが、ぶっちゃければ気分の問題といいますか。

最近は最新家庭用ゲーム機を使ったオールドゲームのデータ配信販売なんていうことも多くなってきましたが(それ自体を否定するつもりはもちろんありません。むしろ素敵なことだと思っています)それでも自分は、中古ソフトショップ巡りをして、実際のゲームソフトを購入するのが好きです。
説明書やレーベルを眺める、ディスクやカートリッジを本体に入れるという行動は、幼い頃から続けていた様式めいたもので、それを省いてしまうことが、なんだか勿体ないような気がするから、かもしれません。

ファミコンなどの古い時代のゲームに関しては、ネットで見かけた画面写真1枚を眺めるよりも、中古屋で見かけたカートリッジを手に取ったときのほうが、当時の記憶が蘇ってきたりすることがわりと多かったりします。
「そうだそうだ、こんな色だったな」とか「こんな絵が書いてあったな」とか。

そういうのを全てひっくるめて、記憶にしたいのではないかな、と。

扇風機と除湿器とエアコン
2010.5.12[Wed]
ここ数年、この時期の寒暖差は夏秋や秋冬のそれよりも激しいような気がします。
自分は寒暖差に弱く、数年に一度、寒暖差の激しい時期に高熱を出してしまうことがあったのですが、とくにこの時期は注意しなくてはいけません。ここ数年は目立って高熱を出していないので、余計に。
暑い日があったかと思えば涼しくなったり、忙しい日々。

自分の変な癖、みたいなものに「風にあたりたがる」というのがあって、多少寒くても仕事に集中したいときなどは扇風機をつけたりとかします。なので、うちでは5月から10月ぐらいまで扇風機が出ていることが多かったりします。今年も、先週の暑かった日に扇風機を設置して、今も回っています。
さほど暑いわけではないんですが、風があると落ち着きます。エアコンのない環境でずっと育ったせいか、冷房にはあまり強い方ではないのからかも、しれません。

これからどんどんと暑くなるわけですが、除湿器を導入して以降は、扇風機と除湿器の組み合わせで快適に過ごせるようになりました。高温多湿というのは厄介なものですが、高温だけならわりとなんとかなってしまいます。もちろん、機械はそういうわけにもいかないので、あまりに暑いときは対策をとらないといけませんが。

…そういえば、除湿器を導入してからは夏場に目立って体調を崩すことも少なくなったような。
もうすぐ梅雨シーズンですし、今年も除湿器にはお世話になる日が続きそうです。

2010.5.5[Wed]
パブロフの犬の話は有名だと思いますが、私には「ある事柄を考えると眠ってしまう」という癖、というか条件反射みたいなものがあります。眠いときは当たり前として、それほど眠くない時でも、その事柄を考え出すと、大抵30分も経たずに寝てしまう。
いつぐらいからそうだったのかはよく覚えていないのですが「そういえばあのことを考えると寝ているな」と意識するようになって以降、余り眠くない時に試したらわりとあっさり眠ってしまったので、以来余計に、自分の中でその条件らしきものが成立してしまい、ここ数年いわゆる不眠症とはご無沙汰です。

どうしてそうなったのか、は自分でも分かりません。
が、似たような事は結構多くて、たとえばしゃっくりが出たときには「大豆」と叫ぶとぴたりと止まります。(ちなみにこの止め方、わりとメジャーらしいです)
プラセボ(プラシーボ)効果、なんてものもありますが、それと似たようなものなのかもしれません。

信じることは奇跡を起こす第一の条件である、なんて言葉が脳裏にあるのですが、はてさてこれはどこの誰が言った言葉だったか。

眠れぬ時に羊を数える行為も、信じる力のひとつの形なのでしょう。

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