2010年06月の日記

DECOチョコ
2010.6.24[Thu]
誰かにプレゼントをあげる、となったとき、ではなにをあげるか、という問題はいつもで困るもののひとつです。

相手が喜ぶものを考えるのも楽しい時間ではありますが、あげた瞬間だけでなく、その後の事も考えると、あまり高価すぎたり、かさばるものをあげるのも……なんて、悩んでしまう。
昔はそれこそあれこれと、本当に悩んでいたのですが、最近ではひとつの目安として「食べ物がいいかな」と思うようになりました。
相手の好き嫌いが分かっていないとかえって悩みが増えてしまうジャンルですが、ずっと形が残って邪魔になることもないし、食べた感想を聞くことで話題の種として活用することもできます。
自分でお金を払うのはちょっと……って躊躇っていたものでも、贈り物となれば、また話は変わってきますしね。

で。
先日、大切な人の誕生日になにかをプレゼントしようということになったとき、はてさてなにを贈ろうかと考えた結果、当時の雑誌記事に掲載されていたことを思い出して「DECOチョコ」にしてみました。

http://www.decocho.com/

自分で好きな画像を用意して、それをパッケージにしたチロルチョコを購入出来る、というサービスです。
普通に買うよりはチョコの単価がちょっと割高になってしまいますが、包装紙の印刷クオリティもなかなかで、用意する画像を自前で加工、工夫すれば、市販されているものに見えるぐらいの品質で作る(というか作ってもらえる)ことが出来ます。

相手が好きな画像をこっそり用意、加工したこともあって、かなり好評でした。
今度は自分の好きな柄でオーダーしてみようかな……とも思うのですが、やっぱりこういうものは、誰かにあげることを想定して画像を用意している時のほうが楽しいみたいです。

元気が出ないときに
2010.6.18[Fri]
気分がどうしても乗り切らないとき、やる気がどうしても出ないとき。そんな自分を発憤させるための手段を誰しもが、ひとつやふたつ、場合によってはもっと多く、もっているものだと思います。

自分にもいくつかそういうものがあるのですが、その中のひとつに、

「マット・ハーディングの動画」

というものがあります。
詳しくは自分が語るよりも「マット・ハーディング」という言葉で検索すると、いろいろと出てくるので、そちらで見ていただいたほうが早く確実だと思います。

自分が最初に見たのは2005年の動画で、それを今から4年ほど前、ちょっと落ち込んでいたときに見て「なんとなく泣いてしまった」ことを覚えています。

年を取って涙もろくなる、という事はわりと聞きますが、自分の場合は昔よりも「訳も分からず泣いてしまう」ことが増えた気がします。
子供の頃は「どうして自分が泣いているのか」のかがはっきりと分かる=泣いている理由がはっきりしていることが多かったのですが、今はそういう感情、場面のときには、その涙を我慢することも出来るようになりました(我慢するのが良いか悪いかは別として)
でも、それとは別に「気づいたら泣いていた」という事が増えてきて、この動画を見たときに流した涙も、それでした。

知らず知らず、涙を流すことが増えてきて何年も過ぎて、最近では、自分が「訳も分からずに」泣いているときには、自分が見ている景色、風景、感じている感情のどこかに「自分にとっての憧れ」が含まれているのではないかと、そんなことを漠然と思うようになりました。

わたしはマット・ハーディングさんの動画のなかにある、たくさんの笑顔に、憧れているのかもしれません。

悔しさをバネに
2010.6.11[Fri]
先日、テレビを見ていたら「立候補した主役がやりたいと言う子供と、その親の希望をかなえるために、希望者全員が主役を演じることになった学芸会」という内容の番組がありました。
少し前なら「なんだそれは」と思ったでしょうが(もちろん、今だっておかしな事してんなぁ、とは思います)前例として「手をつないで一緒にゴールする運動会」など、そういった逸話は耳にする機会も多くなっていましたから、それ自体は、ああ、最近はそういうことも多いんだな、と思っていたわけです。

で、昨日テレビを見ていたところAKB48の選挙が行われた、とのこと。「アイドルグループで選挙?」と思いましたが、よくよく調べてみれば、AKB48では、こういった選挙がたびたび行われているそうで、今回のものでいえば「次のマキシシングルで歌うことができるメンバーを選抜する」もので「その1位になると、センターポジションが与えられる」という話だそうで。

わたしはAKB48に関してはさほど詳しくないのですが、映像を見た限り、1位になった子も、2位だった子も、それぞれとても輝いて見えて「なるほどAKB48という存在の人気は、こういう部分もあってこそなんだろうな」と感じました。

先週の話題にちょっと通じるところではありますが「頑張る理由は人それぞれ」ですが、
・悔しいから見返してやる、
・今回はダメだったけど次こそは……
という気持ちは、努力の原動としては、けして珍しい物ではないと思います。
自分にも、もちろんそういう気持ちはあります。

「主役になりたかったけど、選ばれなかった」
「だから努力して、次こそは主役に選ばれてみせる」
こんなふうな感情は、ごく自然なものだと思います。でも、もし最初にお話したような、全員主役の学芸会がまかりとおる状況を経験してきたら、この感情はどこにいってしまうのだろうか、と。

競争意識は、大切なものだと思います。ある特定の現場において、勝ち負けや優劣を競うことがよくない、というような風潮もあったようですが、それではなにを目標に頑張ればいいのかすら見失ってしまうような気がします。
実際、すでにそうなってしまった部分もなくはないのでしょうが。

今がいい、今でいいと思えば、人はそこから先へ進むことを辞めてしまう。

目指したい場所、してみたい事、かなえたい夢。
それを失わないように、見失わないように、生きていきたいと思います。

チャレンジ
2010.6.3[Thu]
新しいことに挑戦するのは、いつだってワクワクするものです。
いま自分が新たにやっていることは、厳密にいれば「新規開拓」とは言えないのですが、それでも、機会がなければ本腰を入れてやることがなかったかもしれない分野だけに、全力で向き合っています。

と、書けば「普段は全力じゃないのか」なんて思われてしまいそうなのですが、無論、そういうわけではなく。

わたしは子供の頃から、あまり「人から期待をされる」という事がありませんでした。子供に対する、両親や親戚の期待とは別の意味で、赤の他人、いわゆる第三者から、自分のもっているなにがしかの才能に対して「期待している」と思われていたことはそれほど多くなかった気がします。
取り立ててなにかが出来る、というわけではありませんでしたから、それは余計にそうだったのかもしれません。
ですから、自分は「期待される」ということに不慣れなまま育ってしまったほうだと思います。

ドラマや漫画などである「才能があるがゆえ、人望があるがゆえに期待され、そのために重圧を感じてしまう」なんてこととは、それこそ無縁の人生でした。

それでも、ある程度成長して、仕事をするようになり、なにがしかの責任ある立場に就くようになれば「期待してるから」なんて言われるようになっていくわけで、そうなると、その言葉を重荷だと感じると同時に、「なんとかその期待に応えたい」とも思うようになっていきました。
おそらくは「自分のような人間に期待してくれている人がいることが喜び」だったのかもしれません。
今にして思えばそれはちょっと卑屈になりすぎ、というか、そこまで自分を卑下しなくともいいんじゃないか、とは思うのですが、生まれてからこっちなんやかんやあったせいで、どうにも人から期待されることに不慣れだった私は、そういう立場を与えられたり、そういう感情を向けられると、不安と同時にやりがいも感じるようです。

先日、テレビ番組「ガイアの夜明け」を見ていたら「ユニクロ世界進出」という話題をやっていたのですが、そのなかで、若い世代の社員は、海外に赴任することに意欲的ではなく、どちらかといえば保守的な意見をもっている人が多い、という内容のアンケートを紹介していました。

たしかにその気持ちは分からなくもないのですが、チャンスがあるなら挑戦していくのも悪いことではないのにな、と思います。
後悔先に立たず、なんてな言葉がありますが、いま、目の前に思いがけない分岐点があったとして、そこで保守的な行動をとったことが、後々の自分の人生にとってプラスになるか、マイナスになるかは、それを選んだ時点で決まるというよりは、その分岐を選んだ先の行動で決まることの方が多いのだろうと思いますし。

人の人生を100年とするなら、それを仮に一年365日に当てはめてみると、人生にとっての一年=暦の一年で3〜4日ってところでしょうか。
今年ももう半分が過ぎようとしていますが、年始からいままでを振り返って、その上でこれから年末までを思い描いたときに、そのなかで一週間ぐらい新しいことにチャレンジする期間があったとしても、それほど悪い事ではないと思います。

読んだことのない分野の本でも読んで見たりとか、聞いたことのないジャンルの音楽を聞いてみたりとか、お休みの日に映画館にいって、気になった映画を飛び込みで見てみたりとか、入りたいなとずっと思っていたお店にはいって、買い物をしたり、ご飯を食べてみるとか。

たったそれだけのことでも、それは挑戦といえるものですし、それが結果として、なにか自分に新しい気持ちを感じさせてくれたとしたら、また違った感覚で物事をとらえることができるようになるかもしれない。

世界はまだまだ知らない事に溢れています。

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