サイド・晃子 「意識」

   -1-

 初恋は叶わない、なんて言う。
 わたしの初恋の相手は幼馴染みで、それだけなら、わりとありふれた話だったに違いない。
 問題は、その相手が異性ではなく同性だったこと。
 一年近く誕生日の離れている同級生、藤野さつき――――さっちゃんのことを好きになったのは、もうずっと昔の話。
 自分でなんでもやってのける、けして泣き言を言わない彼女は、わたしという世界の中でいつでも輝いて見えた。
 どうしてこんなにも惹かれるのだろうと、その理由を探るように彼女を見つめ続けるうち、自分の抱いている感情に気付いた。
 でも、それを口や態度に出したことは一度もない。
 十数年共にしてきた関係が壊れてしまうことが怖かったのもあるけれど、なにより、彼女を困らせたくなかった。
 親友という友達以上の距離と、幼馴染みという立場があるなら、たとえそれ以上が望めないとしても、我慢できるはずだった。
 さっちゃんから、あの話を聞かされるまでは。
 彼女から相談があると言われた時、わたしは耳を疑った。
 さっちゃんは悩み事があってもそれを自分で解決してしまうほうだし、事実、相談なんてそれが初めてだった。
 しかも、その内容が好きな相手に告白したい、というものだと知った時のわたしの心境を、どう表現したらいいのだろう。
 彼女の憧れの人が生徒会長だった事が、それに拍車を掛けた。
 綾崎梨衣。
 好きな人が好きになった人も、女性だった。
 安堵と不安、羨望と嫉妬、いろんな気持ちが混ざり合ったそれは、自分にもこんな嫌な一面があるんだと気付かせた。
 ほんのわずかでも自分の恋に望みがあるのではないかと、一瞬考えたのも束の間、それはない、とすぐに知る。
 綾崎先輩の話をしている間、さっちゃんの目は、かつて見た事がない色を宿していて、それが彼女の恋の色だと分かったから。
 なぜ、その視線がわたしに向いてくれなかったんだろう。
 けれどそんな思いを気取られぬよう、わたしは振る舞った。

 そんな気持ちは憧れだよ。
 告白したって、断られるだけだって。

 何度も喉元まで出かかったいくつもの言葉を、そのたびにぐっと堪えて、最後にわたしが紡いだ言葉は、

 好きなら、それもいいんじゃないかな。

 それは、自分自身に向けて呟いた言葉だったのかもしれない。
 さっちゃんの想いを否定することは、さっちゃんを好きな自分の気持ちすら、否定するような気がして怖かった。
 さっちゃんがこれほどまで真剣に想いを寄せる、綾崎梨衣という人に前以上の関心を抱くと同時に、結局は成り行きを見守ることしか出来ない自分に、また、歯がゆさと苛立ちを覚える。
 こんな気持ちになったのは、二度目。
 一度目は一年前。
 あのときは、わたしからさっちゃんに相談を持ちかけた。

   -2-

「ラブレター? こっこに?」
「……そう」
 ブリックパックを持ったまま、ぽかんと口を開けたさっちゃんに頷いて、わたしは一通の手紙を取り出した。
 久しぶりに中庭で一緒に食事をしようと誘ったのは、さっちゃんに相談したいことが出来たから。
 発端は、机の中に入っていた手紙。
 まさか自分がもらう事があるなんて、思ってもなかった。
「見ても、いい?」
「それは……ちょっと」
 恥ずかしいと言うよりも、差し出した相手に悪い気がした。
 手紙なんて、宛てた相手以外に読まれることを考えて書いたものじゃないだろうし。
 それはさっちゃんも分かっているらしく、無理矢理に手紙を取り上げるような真似はしなかった。
「それで? こっこ、どうするつもり?」
「……断ろうかと、思って」
 相談したかったのは告白を受けるかどうか、ではなくて、いかにして断ったらいいか、というもの。
 同じクラスとはいっても、手紙をくれたのはほとんど話したことのない男子だった。
 そんな相手から、いきなり好きだ、なんて言われても、嬉しさより困惑のほうが強い。
「ふぅん。……もしかして、好きな人いるとか」
「そ、そんなことっ」
 ふふっと笑う視線が、自分の本心を見透かしているようで、思わず首を左右に振った。
 わたしが好きだと思っている人が……いま、一緒に食事を食べている相手だということは、わたしだけの秘匿なんだから。
「……ま、面と向かって告白できないような男、こっこにお似合いだなんて思わないけどね」
 わたしの反応を楽しむように、くすくす微笑んださっちゃんは、それから少し考えた後、
「……じゃあ、わたしのほうで断っておこうか?」
 そう提案して、こちらの答えを待った。
 正直、その申し出はありがたいものだったし――――さっちゃんを食事に誘ったときから、心のどこかで求めていた解決策だったのかもしれない。
「……」
 それでも、本当に頼んでしまっても良いものか悩んでしまう。
 ずっと甘えて。
 これからも甘えて。
 いつまでこの関係は続くのだろう。
「……どうするの? こっこ?」
 黙り込んだわたしを心配そうにのぞき込む顔。
 その顔を見ていたら、焦げるように胸が苦しくなった。
「あ、うん。……お願いしても、いい?」
 結局、なにもアイディアが浮かばないまま頷いてしまう。
「いいよいいよ。ずばっと断ってきてあげるから」
 わたしの代理だと証明するために、手紙を預ける。
「終わったら、返した方が良い?」
「……捨てちゃっていい。断られた相手にこういう手紙をいつまでも持っていてほしくはないだろうから」
「了解」
 それで話は終わり、ランチは解散。
 さっちゃんの行動は迅速で、その昼休みが終わる前に手紙の差出人を捉まえて、事情を説明してしまった。
 けれど翌日、事態は一変。
 告白を断ったことに対する報復なのか、手紙をくれた男子を含む数人が、イジメまがいのからかいを始めた。
 その中でもっともつらかったのが、胸が大きいことをあれこれと言われたことだった。
 級友やさっちゃんがかばってくれたこともあって、相手はすぐに飽きたらしく、それは一週間と続かず沈静化したけれど、その間に受けた言葉の数々は、棘となって心に傷をつけた。
 いま思い出しても、苦痛な記憶。
 でも、辛いことばかりだったわけじゃない。
 男子生徒と接するのが少し臆病になり始めていた頃、

 気にすんなよ、木之下。

 さりげなく、そう声をかけてくれたクラスメイトがいた。
 わたしをからかう男子グループに面と向かって注意したりとか、矢面に立って守ってくれたわけじゃない。
 ただ一度だけ、短く言葉をかけてくれただけ。
 たったそれだけの事だけれど、わたしにはそれがとても印象的で、この人は他の男子と違うかもしれないと強く意識した。
 あの日以来、異性と接する時はどうしても壁を作ってしまう中で、彼には安心して声をかけられる理由は、その印象がずっと、わたしの中で生きているからだろう。
 ……きっと彼は、あの日のことを忘れているだろうけど。

   -3-

 さっちゃんから聞いたばかりの話――生徒会長が好きだという相談――と、一年前の記憶を思いだしながら、集めたプリントを束ねる。
 その用紙の内容は、近づいてきた文化祭で出し物をなんにしたいか、というアンケートだった。
「はい、木之下さん」
「ありがと」
 増えていく紙を綺麗に重ねていく。
 こういう雑用も、わりと委員長の仕事に含まれていた。
「えっと……」
 匿名記入なので、誰から受け取ったのかを思い出しつつ、それぞれの机をまわって回収していく。
 ほとんど集め終えて、あとは誰だろう、と思って教室を見回したとき、その横顔が飛び込んできた。
 そういえば、まだ彼からはアンケートを受け取っていない。
 改めて用紙の枚数を数えて、クラスの人数と比べてみると、足りないのはやっぱり一枚だけだった。
 彼に声を掛けるのは、いつぶりだろうか。
 クラスの委員長になって、こういった仕事をするようになって機会は増えたけれど……それでも、彼に声をかけるのは一週間に一度あれば多い方だと思う。
「……」
 なにか考え事でもしているのか、ぼんやりと机に頬杖をついている彼の机に近寄る。
 唯一、わたしが身構えずに声をかけられる異性。
 小さく深呼吸すると、
「座馬くん。ねえ、座馬くんってば」
 わたしは、ほんの少し特別な名前を呼びかけていた。