ハーレムアフター「放課後の少女たち」 晃子

「風邪? この忙しい時に?」
「うん」
 頷いてみせるわたしに、部活の朝練を終えて教室にやってきたさっちゃんは、なんとも言えない表情を浮かべた。
 卒業まで、出来る限り部活を続けたいからと、さっちゃんは掛け持ちしていた運動部のほとんどに断りを入れて、いまは陸上に専念している。
「それで? ザマ、具合は?」
「今日、病院に行くって言ってたけど……声はそこまでつらそうじゃなかったから、大丈夫だと思う」
「なんだ、そっか」
 わたしの口調に深刻さがなかったせいか、少し顔色を曇らせたさっちゃんも、すぐにいつもの調子に戻った。
「まっ、こんな時期に長く休まれてもたまんないし」
 こんな時期、というのは、今が文化祭前だからだ。
「こっこ、毎日大変じゃない?」
「うん。でも、今のところは、なんとか」
 風邪で休んでるクラスメイトの男子――――信也くんや、前生徒会長である綾崎先輩と親密になった『あの』出来事から、ちょうど1年が過ぎた。
 わたしたちは3年になり、先輩は卒業。わたしとさっちゃんは進級時に運良く同じクラスになることが出来て、去年よりも一緒に過ごす機会が多くなった。
 そんな中で、一年前ともっとも大きく変わったことといえば、わたしの肩書き、かもしれない。
「そういえば先輩、文化祭見にくるみたい。昨日ね……っと、ほら、メールでこんな連絡あったんだ」
 卒業してもなお、綾崎さんのことを先輩と呼び続けている――もっとも、それはわたしも同じだけど――さっちゃんは、携帯電話を開いて、画面をわたしに見せてくれた。
 そこには、

 じき文化祭ね。晃子の腕前、とくと拝見。

 なんて書いてあったものだから、思わず苦笑してしまう。
「このメールきた後、折り返し電話したら、先輩、なんだか楽しそう……っていうか、企む感じで笑ってた」
 さっちゃんの言葉を聞き、電話口の先輩がどんな感じだったのか、容易に想像がついてしまった。
 あの人には、そういう表情がよく似合うから。
「なら、いまよりもっと頑張って良い文化祭にしないと。わたしを後任として選んでくれた、先輩のためにも」
「そうだよー? ファイトだね、生徒会長」
 くすっと笑ったさっちゃんの言葉どおり、わたし、木之下晃子は現在、生徒会長をしている。
 もともと我が校には、生徒会長が後任を推薦できるシステムがあるのだけれど――ただし選挙自体は行われるため、推薦された候補が会長になれるとは限らない――去年、先輩はこともあろうにわたしを後任として指名した。
 結局、断り切れずにそれを受諾してしまい、内心、落選を期待していた選挙で当選してしまった結果、わたしは先輩の後を引き継ぎ、今に至る。
「去年、わたしたちがやったメイド喫茶を越えるような出し物、今年はありそう?」
「あれを越えるのは、さすがに……」
 言いつつ、去年の文化祭を思い出して、何とも言えぬ懐かしさがこみ上げてきた。
「……早いよね、あれからもう1年だなんて。ついこの間、先輩が卒業したような気さえするのに」
「そう、だね……。なんか、あっという間」
 しみじみ、なんて言葉が似合いそうな顔でさっちゃんが頷くのものだから、わたしもつられて頷いてしまった。
 1年前のわたしは、幼馴染みのさっちゃんに恋をしながらも、その気持ちを秘匿し続けて過ごしていた。
 けれど、信也くんにある秘密を知られ、彼の恋人を演じたことをきっかけに、さっちゃんが憧れていた綾崎先輩とも知り合いになって――――紆余曲折の果て、わたしたちは、人には言えない秘密を共有する関係となった。
 放課後の生徒会室で何度も繰り返した、思い出すだけで頬が熱くなる、蜜月な時。
 けれど、先輩が卒業してからはそれも途絶えてしまい、今はもう、さっちゃんや信也くんとそういう……エッチなことをする機会もなくなってしまった。
 信也くんがこっそりさっちゃんと親しくしている気配もないし、先輩と付き合っている、という話も聞かない。
 一方のさっちゃんはといえば、先輩が卒業してからも彼女と親しくしていて、予定があえば休日は一緒に買い物なんかに出かけたりしている。
 わたしも誘われて何度か付き合ったけれど、人目をはばからず腕を組んで歩く姿は、仲の良い姉妹のようであり、見方をかえれば恋人にも見えて、それは微笑ましくも眩しく……ほんのちょっと、胸が痛んだりもした。
 ただ、わたし自身が抱いていたさっちゃんへの恋心は落ち着いていて――もちろん、好意が完全に消えた訳じゃないけれど――いまは、級友であり幼馴染みであり親友というポジションでいられることが、掛け値なく、嬉しかった。
 わたしの気持ちを知って、それでも、それまでと何一つ変わらない態度で側にいてくれたこと。
 それだけで、わたしは満たされてしまったのかも知れない。
「今日も、放課後は生徒会?」
「えっ? ……あっ、うん。書類とか、整理しないと。出し物の申請もだいぶ揃ってきたから」
 回想していたせいか、返事がわずかに遅れてしまう。
「そっか。じゃあ、大丈夫だね」
 ぼんやりしていたわたしを訝しむでもなく、さっちゃんはほんのちょっと首を傾げたあと、頷いた。
 普段なら、その呟きがおかしいってことに気がついたかもしれない。けれど、1年前の出来事を思い出していたわたしはそれに気づくことなく、彼女の言葉の意味を知るのは、放課後になってからだった。
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