2010年07月の日記

リキッドタイマー
2010.7.28[Wed]

リラクゼーショングッズといえば色々ありますが、幼い頃に好きだったのが「水時計」でした。これは「砂時計」の砂が液体になっているもので、名称は色々あるようですが「油時計」「オイルタイマー」「リキッドタイマー」などとも呼ばれているようです。
タイマーと名前はついていますが、実際には時刻を正確に計ることは出来ません。動きを眺めて楽しむものだと思います。
この前、急にこの「リキッドタイマー」(購入した外箱にそう書いてあったので、とりあえずこの名前)が欲しくなり、ネットで取り扱ってるショップを探して購入しました。画像は実際に届いた物を撮影した物です。

他にもいくつかの「眺めて楽しむ癒し系グッズ」の購入は考えたのですが、以前「すのこタン。」を紹介したときにも似たようなことを書いたように「電源をとらないシンプルなものは壊れにくいし扱いやすい」という考えもあり、そういった意味でもリキッドタイマーは理想的でした。置き場所をそれほど必要としないのもいいところ。
これからはPCの側に置いて、たまにひっくり返してぼんやり眺めようと思います。

日常
2010.7.21[Wed]
毎年恒例の及川光博のツアーDVDの発売が発表され、収録曲一覧を眺めてうっとりしていたものです。毎年、初夏〜夏ぐらいに出るのですが、毎年発売からしばらくはバカみたいに繰り返し見るので、おそらく今年もそんな感じになってる予感がします。元気源のひとつです。

リンクをした記念、という形で、天城さんがブログにて「あずさとこうこ」のイラストを描いてくださいました。これに関してはこちらからお願いをしたわけではないので、更新されたときにはこちらのほうがびっくりしてしまいました。
晃子は「少女達のさえずり」のキャラなんですが、梓沙、というのは「ただひとつのねがいごと」という携帯電話用ADVのキャラクターです。こちらは原案やメインシナリオを担当したわけではないんですが、シナリオ補佐や演出なんかで関わった作品になります。

ここ数日はいわゆる猛暑ですが、先月末にエアコンを交換してもらったので29度設定で快適に過ごすことが出来ています。(それまではネットで型番を検索しても出てこない、有線式のリモコン装備で茶色い外観という、20年以上は前のものであろう古いエアコンでした。冷却効率のわりに電気代が高く、こちらで予算をもつので買い換えたいのですが、と大家さんに問い合わせたところ、付け替えていただけました)
自分自身はそれほどエアコンに頼らなくても平気なんですが、自分の身体よりもパソコンのほうが大事なもので、夏場はとくに気をつかわなくてはいけません。

これから7月が終わり8月になると、いよいよ夏らしさが増していきますが、晩夏の夕暮れが好きな自分としては、その時期がちょっと楽しみです。

久しぶりに
2010.7.16[Fri]
サイトの更新作業をしました。

といっても、とくに目立ったコンテンツを追加したというわけでもないのですが、topにあったお仕事関係の諸々を、それなりに時間もたったので「■self introduction」のほうにまとめて、それから「■link」のほうに3つほどサイトを追加しました。
どれもみな、お仕事関係でお世話になっている方や会社様のブログ、およびサイトです。
ほかにも、サイトを全体的に見直し、おかしい記述や構造になっていた部分を気づいた範囲で整えておきました。

せっかくだから、一緒になにか読み物を追加したいなと思ったのですが、ストックしてある物に関しては古すぎて読むに耐えないもの(レインタクトの前半部分にしても10年近く前ですから、これだってかなり恥ずかしい部類なのですが)や、もしくは未完なものが多く、これでは公開できる水準に達してないだろう、ということで見送ることにしました。
「未完の作品を未完であるという前提で公開してしまう」という方法も考えたんですが、そんなことをしても誰にも得がなさそうなことは明白なのでやめました。
もっとも、それによって続きを書くモチベーションがあがるのではないか、という可能性もないわけではないのですが。

理由と原因、納得と発見
2010.7.9[Fri]
おそらく最初の切っ掛けは、一番はじめに勤めたゲーム制作会社(その後倒産して現在は存在しません)で、恩師と呼んで差し支えない上司から言われた「物事にはすべて理由や原因がある」という言葉でした。

当時、その会社ではファンタジーものの企画があり、その内容は、工業都市や魔法国家など4つの国が争っているなかで、ユーザーは傭兵として生きていく、といったものでした。

「この世界の地図を描いてみて」

上司にそう言われた私は、自分なりに考え、その世界の地図を制作したのです。

そうして出来上がった地図を見た上司は、
「砂漠の国は、なぜ砂漠の中心に国家を築く必要があったのか」
「海が近ければ海の、山が近いなら山の特性を活かした国が出来るはず」
「この世界での魔法の重要性、特異性を考えれば、魔法国家の規模がこんなはずはない」
などなど、いくつも地図の問題点を指摘しました。
そして最後に「物事にはすべて理由や原因がある」と言ったのです。

理由や原因、発端やはじまり。
例えば、工業国家が工業を主力に栄えた理由は、農作物を育てるには不向きな土地であったりとか、特殊な金属などの採掘できる土地だったのではないか、といったようなものです。

若かった頃の私は、そういったものを「なんとなく」組み立てることが多く、そこに「理由」や「原因」を求めようとしませんでした。
「なんとなく」恋をする主人公。
「なんとなく」魔法というものが存在する世界。
けれど、主人公が恋をするには原因があり、魔法が栄えるには理由があったはず。
そういうことを意識して作品と接することにより、見えてくる物もあるのだ、ということを教えられて以降、私はその作品における「理由」を考えながら遊び、学び、感じ、そして作るようになったのだと思います。

ゲームを遊んでいてもアニメを見ていても漫画を読んでいても小説を読んでいても、そのなかで「なぜ」「どうして」と考えながら作品に触れることにより「こうだからかな」「なるほど、こういうことか」という納得と発見を繰り返す日々。

最近はその癖がちょっとがんばりすぎるようで、苦手だったホラー映画や怖い系統の話であっても「なんでこれを人は怖がるのか」「どういう意図でここで怖がらせているのか」「この話にこの恐怖は必要だろうか」といったことを分析してしまうがゆえに、怖いはずなのにあんまり怖くないというか、作品を純粋に楽しめない部分も出てきたしまった、というか。

前に話した「期待している作品ほど事前に情報を入れずに楽しみたい」という考えは「その情報があればあるほど、自分の中に余分な理由が増えてしまうからなんじゃないかな」と思う部分もあったりするほど。
あんまりに度が過ぎると、それはそれで大変ですし疲れてしまうものですから、適度に頭を空っぽにして笑ったり泣いたりもするようにしていますが「あの一言がなければ、今の自分はいなかっただろう」という点に関しては間違いありません。

というわけで、「自分が作品を見るときにどうしても分析してしまう癖」の「理由」は、ある人の一言が切っ掛けだった、という話なのでした。

二度三度
2010.7.2[Fri]
最近、「魔法使いの娘」という漫画作品を最初からじっくりと読み直しています。
全八巻をもって完結したこの漫画の詳細に関しては、ここで語るよりも検索してもらったほうがきっと確実かつ客観的だと思うので、それはそれとして、完結した作品を最初から読み直す、というのは結構好きです。

完結までにかかった年月にもよりますが、そもそも自分の価値観、感性がかわっていたりもするので、当時の感想と変わってくることもわりとあるので、作品自体の面白さはもちろん、そういう自分の変化を感じることでも楽しむことが出来ますし。

ゲームにも似たようなことがいえるのですが、プレイ時間がかかるものだったりすると、やはり手間になってしまうことも多いです。ゲームはどうしたって、ゲーム機にソフトにモニターに、さらにいえば電源なんかが必要になってくるものですが、本であれば気軽に持ち歩くこともできますし。

電子書籍の今後は分かりませんが、無人島に流れ着いたときにipadがあっても電源なければ本は読めませんから、やはりそういう部分ではアナログな媒体ほど強そうです。
それとも、これよりさらに先の未来では、あらゆる発電装置と進化した通信網によって、どこでも気軽に電子書籍が読めるようになっていたりするのでしょうか。

あ、でも電子書籍に作家の直筆サインを入れることはできませんから、作家のサイン会なんかが行われるかぎり、本はなくならないのかしら。
それとも、ipad本体にサインをしてもらうようになったり、とか。

なにはともあれ、たとえどんな媒体になろうとも、二度三度と目を通したくなる作品を書いていくことが、わたしの目標であり、目的であり、ある意味では生きていく理由だったりするのかもしれません。

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