2004年07月の日記

■ いらいらのむこう
2004.07.30
いらいらする原因っていうのはその時によってよりけりで、自分が原因であるものもあれば、他人が原因のもの、はたまたテレビやラジオから流れてきたニュースやバラエティ番組での何気ない企画だったりと、本当様々です。

そういうとき、とりあえず思い切り悲しいことを思い浮かべると気持ちがしぼんで落ち着く、っていうのが自分の中での回避の仕方。
今まで生きてきて悲しかったことを思い出したり、これから先、起こるかも知れない悲しい出来事を想像してみたり。
ある本で読んだところによれば、落ち着きたいと思ったときは自分の葬式を想像すると、案外落ち着くのだとか。
感情の優劣は人それぞれだから、これだ、というものは人によって違うと思います。でも、悲しみは様々な感情の中でも大きなもの。
なによりささくれ立っている感情のまま人と接していると、そういう感情は伝染していってしまうものです。

いらいらしている時、ふと考える。
「こんな気持ちでいることで大好きな人が悲しい顔をするのではないか」
そう思ったら、次は好きな人の笑顔を思う。
「自分が笑顔でいられれば、あの人も笑っていてくれる」

他人にあたらず、自分の中に全てをため込むことは必ずしも良いことではないと思うけれど、考え方一つで消してしまえるいらいらなら、心の中に抱え込んでいる必要はないから。

好きな人の言葉一つで元気になる心と、好きな人の表情一つで一喜一憂できる気持ちを大切に、今日も明日も積み重ね。

■ ことのは
2004.07.24
文字でしか自分の気持ちを伝えられないメール。手紙と違って、誰でも同じフォント、決められた形。手紙ならば気軽に手書きの記号をはさめても、メールではそうはいかない。
そんななかで、どんどんと増えていった絵文字、顔文字。

私は絵文字を使ったことがないです。普段、ネット上での会話においても、なるべく顔文字や()でくくった(たとえば「(笑)」など)をなるべく使わないように心がけています。
なぜか、と言われれば、切っ掛けはいくつもあったような気がしますが、今となっては正直そのどれが本当に引き金になっていたのかは分かりません。たぶん、今は習慣と、あとはたぶん意地みたいなもので。
それでも会話の内容によっては、多少混ぜることもあるのですが。でも多用する人のそれとは比べものにはなりません。
一時期、あんまりに顔文字ばかりを多用する人が苦手だったりもしたのですが、今はそれもなくて、人それぞれなんだから、と思います。

日常会話で言葉を声にして相手と話すときに、絵文字や顔文字は使うことが出来ません。これは当たり前で、だから代わりに表情や感情があるのだけど、でも、自分の心の中にある言葉をきちんと言葉や文字にして伝えるということもとても大切なことだと思うから。
そんな感覚が鈍ってしまわないように、臆病な私はああいうものに頼ることが出来ない、っていうのが実は本当の理由なのかも知れません。

でも、理屈じゃなく、理由じゃなく、勢いや感情で話していきたいときに、()文字や絵文字はとても便利。
どんなに丁寧な説明よりも、ひとつの叫びの方が胸をうつときがある。それは文字だろうと声だろうと変わらない。

■ 言葉の力
2004.07.17
気弱になると人が恋しくなる、のかどうかは分かりませんが、人は不安なときとかに親切にされたり、親身になってくれた人に対して特別な感情を抱きやすいといいます。
分かりやすいところでは、エレベーターなどに男女が閉じこめられたりなどした場合、その二人は恋に落ちやすくなる、というもの。こんな状態になるのは実生活において稀ですが、たとえば失恋をして落ち込んでいたり、風邪などひいて弱っているときにそっと優しい言葉をかけてもらっただけで、今までは対して気にしていなかった相手だったとしても気になるようになったり。
一度気になってしまうと、元気になってもその出来事は印象に残るので、その後もその人を観察してしまったりして、その結果、今まで知らなかった一面に惹かれて、ますます気になってしまうことも。
これはひとつの一目惚れの形といえなくもないかもしれません。

第一印象が大切、というのは何事もですけど、もしも気になっている人がいて、じっと見つめているのなら、その人が落ち込んでいるときにそっと優しく声をかけてみると、なにか進展するかもしれません。
それに、心の中は誰にものぞくことができないもの。元気に振る舞っていても、どこかで疲れていたり悩みがあるかもしれません。そういうのに気付いて貰えると、やっぱり嬉しいもので。

前に、私を好きになってくれた人に「どうして好きになってくれたのか」と聞いてみたら、自分自身はもう覚えていないささいな一言から気になった、という答えをもらったことがあります。

恋に落ちるきっかけは、言葉一つにもあるもので。

■ 愛着々
2004.07.09
愛着がわくような要素が好きで、たとえばゲームだと「自分で名前を付けられる」というのは結構重要。あの有名なダービースタリオンを始めたきっかけも、サッカーに詳しくないのにサッカークラブをつくろう、をプレイしたきっかけも「自分で名前がつけられるから」という理由が大きかった。なので、ドラゴンクエストもファイナルファンタジーもシリーズの中で「3」が好きなのは、ともに自分で名前を付けることができるから、かもしれません。
ファイナルファンタジーの6や7は自分で全員にオリジナルの名前をつけて遊んでいたものだから、回りの人とキャラの名前が合わなくて会話するのに難儀したもんです。

自分で作るのが好き、というのもたぶん似たような理由で、携帯ストラップとか懐中時計の紐とかも革を買って編んだりして作ることが多いです。パソコンでいれば、デスクトップの壁紙や、場合によってはアイコンなんかも、気に入った素材を自分で加工して作ってしまうことが多いです。

やっぱり、世界にひとつだけのものっていうのはいいもので。

恋人の過去を妙に気にする人っていますけど、過去に誰とつきあっていようと、どんな恋愛をしていようと「今、こうして自分との時間を過ごしていてくれる彼(彼女)」というのは世界に唯一のもの。そう思って一緒にいると、どんなことでも大切に思えてきたり。
今日もまた色々あったけど、そんな今日だって、きっとそんな、唯一のものだらけの時間だから。
今は愛せないような嫌な一日だったとしても、いつか愛せるときがくるといい。

■ 隙好き
2004.07.03
隙っていうのは良いもので、その人本来の表情、本性みたいなものを見せてくれます。そういうのはその人の素顔ですから可愛い。
「え?」
じゃなくって
「へ?」とか「は?」
みたいなやつです。いわゆる 素っ頓狂 な反応。この言葉は、間の抜けた、という意味になるわけですが、人間なんて言っちゃえば間抜けなときほど可愛いもので。
照れているときの顔も可愛いですが、間抜けな行動、及びそれを指摘したときの反応なんかも可愛らしいと思います。

人の可愛いところを探すのが好きなのです。これは男女老若問わず。どんな嫌いな人でも、苦手な人でも、そういう部分を一つ知っているだけでずいぶんと対応が違ったり、心に余裕が出たり。
心に余裕を持って相手と接していると、普段見えない部分が見えてくるので、より相手のことを好きになれます。相手によっては、そんな態度を「自分が見下されている」と感じてしまう人もいますから、そのあたりの距離感、感覚みたいなものは難しいのですが。

しかしながら、好きで好きでたまらない相手にはそんな余裕なんかもなかったりして。「恋は駆け引き」だなんて誰が言った言葉か知りませんけど、でも、人を好きな気持ちそのものに駆け引きなんてものはなくてたぶん当たり前。
だからこそ、人を好きになるのって切なくて苦しくて、でも嬉しい。
それは、日々繰り返している日常の色を変えるほどに。

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