2004年11月の日記 |
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ちょっとした用事で更新が遅れてしまいました。 最近、町中を歩いていると妙に猫とすれ違います。普通の住宅街、なんですけど、前にすんでいた場所に比べると飼い犬の数が少ないからかも知れません。 近寄ろうとすれば逃げ、諦めて去ろうとすると車の下からこっちを見ている。そんな猫の様子が何かに似ているなぁ、と思ったり。 駐車場に入ったばかりの車に嬉しそうに駆け寄っている猫はたぶん、エンジンの熱が欲しいからなんだろうなぁ。 寒くなるとぬくもりが恋しくなるのは、なにも人だけじゃなくて。 ふさふさしているものはいいですね。 |
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無事に届けることが出来て、忙しい中、更新作業もしていただいて、+ AngelGarden + のほうで11幕を掲載していただきました。あちらの更新履歴のコメントにもありますが、あと数幕で終わり、だと思います。連載当時、自分のサイトを運営していたサーバーが18禁コンテンツを禁止していることも手伝って、寄稿させていただく形で連載(といえたものでもないのかもしれませんが)始めてからもう4年近い歳月流れていると思います。文章も変わりすぎて統一感なんて望めないお話になってしまいましたが、書いた頃の感覚のようなものがにじみ出ていて、自分で読み返すたびにいろんなことを思います。 さすがに10年近く手元においておくと、愛着というものはわくものでレインの人物たちは、皆それぞれに好きなのですが、自分が少なからず変化していくなかで(成長とは呼べないかも知れません)気に入っている人物も、少し変わっていたり。 完結させることが出来たら、心から、ありがとうと伝えたい。 あの話を書き始めていた頃は、妙に「純愛」という言葉が好きでした。でも、ここのところはそんな言葉を口にするどころか、脳裏に浮かんでくることさえ少なくなっているような気がします。 それは、誰かを好きでいることに気構えがなくなったというか、自然に誰かを好きでいる、ということが出来るようになったかもしれない、というふうに前向きな解釈をしています。 たとえば「さぁ、素敵な恋愛をするぞ」なんて、本当に好きな人が出来たときには思わないことです。先のことなんてわからなくて、ただ一生懸命にその人を追いかけていく。相手のことと同時に、自分の気持ちすらどうしていいか分からないから、あんなに泣いたり笑ったり怒ったりできるんだと思います。 だから純愛という言葉はある意味で、当たり前すぎるのかもしれません。 本当に人を好きになったとき、人の心はいつでも裸。 |
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先日テレビで放映していたIQ診断テスト、去年も参加していたのですが、去年の126から10下がるという結果になりました。ただ面白かったのは、この一年間で脳の使い方が変わっていったのか、得意な分野、というよりも苦手な分野に多少変化があったこと。 ただ食事しながら見ていたせいかケアレスミスで数問損してしまいました。あの番組、参加している人たちの環境も様々なので、一概にそのテスト結果が正しいのかどうかは多少疑問が残ります。でも、気軽に試せるという部分はとても大きいなぁ、と。 どんなものだって、自分が参加できるという楽しいものですから。 しかしながら、一年という時間は、人間を作り替えるのには十分な時間なのかも知れません。自分の脳の得意な分野と苦手な分野に変化が起こっていたように、きっと恋愛だって、一年もあれば色々な事がおこるはず。 と、それっぽく恋愛の話題につないだりして。 好きな人と自分の関係は一年後どうなっているのだろう。それをちゃんと想像出来る人は、幸せになれる人なんだとか。 想像力って、その力量を計るものもなくて、それそものがすごく漠然としているけれど、でも、幸せになるためには必要な力なのかもしれません。 |
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