2005年01月の日記

■ 文章
2005.01.29
先週は慌ただしくて更新が出来ませんでした。今週もそうなりそうだったんですが、とりあえずなんかしら書いておこう、と。

生きております、頑張っております。

文章、ということで、ここのところ文章を書いております。お仕事で。どんなことをしているのか、ということはまだ明かせないのですが、落ち着いたらここで発表できる日も来るのではないか、と。

自分もまだまだ捨てたもんじゃないな、なんて。

■ 知らず
2005.01.14
2000Hit達成していました。ありがとうございます。
最近は更新を怠けすぎで(その分あることはしているんですが)なんとかしなくっちゃなぁ、と思いつつも写真もあまり良い物がそろっておらず、それでも日々10前後アクセスがあるということは、こまめに見に来て頂いている人がそれだけいらっしゃるということで。

ありがとうございます。

なんかこんなこと前も書いていたなぁ…。
さしあたって書くことがないので、前回の更新でも書いていた恋愛サイト「憩いの夜空」で未使用だった(と思われる)雑記のテキストがあったので、その中からひとつを今回は貼り付けておきたいと思います。
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それが前向きなのか、後ろ向きなのか、ということはさておき、恋愛をしているといろいろな気持ちが発生します。気持ちは理論的にどうこうできるもんではないものが多いですが、大まかに分けることが出来ます。初めの「前向き」「後ろ向き」というのもひとつですが、私がとくに感じるのは「たい気持ち」と「たくない気持ち」
たとえば「たい気持ち」これは、
会いたい。一緒にいたい。言ってみたい。してみたい。
そして「たくない気持ち」こっちは、
帰りたくない。帰したくない。離れたくない。知りたくない。

恋が始まったばかりの頃は、どっちかというと「たい気持ち」のほうが多いし、強い気がします。前に踏み込んでいく力、恋を進めていく力。それは、自分そのものを推し進めていく力になる。恋の推進力みたいなもの。
誰にでも経験があるのか、と言われると正直分かりませんが、二人でいることがまだ当たり前ではない頃、二人で一緒にいることそのものがまだ新鮮な頃は、気持ちは相手のほうへ、そして自分の心そのものも相手のほうへ向かうような気がします。
相手のことをもっと知りたい気持ち。相手にもっと自分を知ってもらいたい気持ち。
でも、その気持ちがいつのまにか、こんな気持ちに変わっていたことはないでしょうか。
「嫌われたくない」
好きな人と一緒にいる。いたい。一緒にいたい。離れたくない。だから、なにより怖いのが相手に嫌われることで、いつのまにか自分の行動に制限が増えていく。
恋愛にもいろんな形、関係あると思うのですが、中には、相手に依存する人がいます。そういう人のなかに、自分から自分を縛っている人が、いるような気がします。
それが果たして悪いことなのか、と聞かれれば分かりません。でも、人を好きになったとき、その人に嫌われたくない、という気持ちの人は少ないと思うのです。方法はどうあれ、その人と一緒にいたい、と思ったのならば、まず相手に自分を知ってもらいたいと思うのではないでしょうか。好きも嫌いも、まず知って貰わなければ抱いてもらえない感情なのですから。そして、知ってもらい、そこで恋になったとき、一緒になれたからこそ、そこにこんな気持ちが生まれてくる。

一番難しいのは、維持することだと聞いたことがありますが、一番難しいことが全ての人に当てはまるとは思いません。でも、恋愛が相手がいるからこそ成立するものなら、そこには自分の気持ちの他に、相手の気持ちもあるのは当たり前。好きになればなるほどに自然と気持ちは踏み込んでいき、いつかきっと重なりあうでしょう。それ以上踏み込めない気持ちが、なにを一番怖がるのか、といえば、たぶんその気持ちが離れること。

どちらかが「嫌われたくない」と思って付き合っている恋人って、どこか雰囲気が危うい気がするのです。畳の縁を歩くのは簡単だけれど、同じ幅の、地上何十メートルという高さにある平均台を渡るのには難しいように、気づかなければ、意識しなければ普段と同じように出来たことが、自分自身の「嫌われたくない」という気持ちで、いつのまにか出来なくなってしまう。
好きになってほしいからいろいろと頑張っていた気持ち、その気持ちが、いつのまにか嫌われない為に使われていく。出来たことが出来なくなる。

「嫌われたくない」と思わないでいることは、案外難しいことです。一度でも意識してしまうと、なかなか離れてはくれない。それは、その嫌われたくないと言う気持ちが、相手があるからこその感情だから。自分一人であれこれ悩んでどうこうできる感情だったら、そんなに悩む必要もありません。
やっぱりそんな時は、素直に相手に話してみるのがいいと思うのですが、みなさんとしてはどうなんでしょうか。なにか悩みがあるとき、苦しいときは、自分一人で悩んでいないで、素直に相手に打ち明けて一緒に悩んでみるのも、また恋愛をしているからこそ出来る特権な気もします。
自分が死ぬほど悩んでいた問題でも、案外「なんだ、そんなことで悩んでたの」なんて笑われる可能性もあるのです。そこで無神経な相手だ、と怒るのもいいし、本当だね、なんて自分も笑ってみるのもいい。もし一緒になって親身に悩んでくれたのなら、そんな相手を見て、なにか分かることがあるかもしれない。

大切なのは、そんな相手を好きになった自分を見失わないことなんじゃないかと。自分が自分でありたい気持ち。好きになった人が好きになった自分を、もっと信じてみれば、嫌われたくないなんて、そんなふうに悩まないですむかもしれないから。
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追伸。
メールまたありがとう。間違ってなくて良かった。
悲しい思いとあなたはいうけれど、あの経験のおかげで今の自分があることを、私はとても大切にして生きているよ。
こうしてここでしか返事を伝えることは出来ないけれど、でも、
あなたを好きでいたことを、後悔したことは一度もない。
あなたの幸せという言葉が、なによりのお礼になってる。
だから、怖いくらいに幸せになってね。
幸せになるのに資格なんていらないんだから。
その笑顔が、この空の下で咲いていることを思えば、私も幸せです。

■ 新年
2005.01.05
2005年となりました。良い年になりますように。

昨年末は、京都駅に行って京都駅名物の巨大クリスマスツリーの写真を撮影したりなどしたのですが、結局バタバタとしていて更新もままならず、時期を外してしまったのでその写真も結局お蔵入り。
三が日は微妙な体調不良もあってほとんど家にいたのですが、初詣は京都に来てからずっと春日大社に行っていたのでそれだけは欠かさずに。今年は妙に子鹿が多いなぁと思いながら、たくさんの巫女さんを眺めつつ引いたおみくじは3年連続で大吉でした。余り続くと大吉を引けなかったときが怖いので、なるべく末吉あたりが出てくれたらいいな、と微妙に罰当たりなことを考えていました。

インターネットで初めて自分のサイトを開設したのはかれこれ8年近く前のことになります。その頃はインターネットという言葉もあまり馴染みが無くて、パソコン通信などのほうが主流でした。以来、場所や名前は違えど、ずっとサイトは(更新が停止していたとしても)ネットのどこかで常に持ち続けていました。
水瀬拓未、という名前は、そのころに名付けた名前です。以来、執筆活動もこの名前で行っていました。おねーちゃんこと、このサイトで現在唯一のリンク先であるAngel Gardenでの寄稿名が水瀬拓未なのも、この名前で出会い、その頃からお世話になっていたからです。
そしてその頃、このサイトの前身である「憩いの夜空」という名前のサイトは、恋愛関連の色々をお話する場所でした。
憩いの夜空を管理している期間、私はいくつかの恋愛をして。その中で、もっとも大きな恋愛と呼べたであろうものが、あの人との恋でした。
今思い出すと、それはどこか幻想にも似ていて、数々の電話や会話のやりとりを思い出すたび、それが雪のように心につもっていきます。

今日、一通のメールが届きました。このサイトのメールフォームから無記名投稿された物なので、差出人の名前も、そのメールアドレスもわからない、完全匿名のものだったんですが。
水瀬拓未という名前で検索してたどり着いた、という文章と、そして幸せだと告げるその言葉は、おそらくあの人のものなのじゃないか、と。

今朝、京都は雪が降っていて、とても寒い朝ですが、おそらくそちらはここ以上にとても寒いと思います。私の知っていた頃の貴方はあまり身体が丈夫な方ではなかったけれど、元気そうで安心してる。
このサイトを見た貴方が、私を幸せそうだ、と思ってくれたことに安堵しました。私も、あなたの「幸せだよ」という言葉を、とても暖かい気持ちで受け取ったよ。
だから、私の憶えているあなたの笑顔以上に、あなたが今側にいる人に微笑んで、そして、今よりもっと幸せになれますように。
祈ることしかできないけれど、それで奇跡はおこったから。

どうか、幸せに。

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