2005年03月の日記 |
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近所の図書館に行くと、ついつい時間を忘れます。 図書館で暮らせたらいいのにと思います。わりと本気で。 更新するネタがないので、昔いろいろなネタを書きためていたテキストファイルから、小さなお話を発掘。 ---------------------------------- 「そんなこともできないの?」 昔、こんなことを言われたことがある。 世の中からすれば出来て当たり前のことが出来ない子。 当たり前の事ってなんだろう。 もし戦争になったとき、敵を殺すことが出来なければ、 私はまた言われてしまうんだろうか。 「そんなこともできないの?」 |
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知り合いがふと口にした言葉ですが、なんか「エロゲーのタイトルに使えそうだなぁ」と思ったので、メモ代わりに。その知り合いの許可は貰いました。 きっと「つみつみ」と略称されるに違いない。 |
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昨日はホワイトデーでしたが、無事に二十数回目の誕生日を迎えることが出来ました。 二十歳を越えた頃から色々変わってきた考え方も、最近はどうにか少し落ち着いたようで、あと10年もすればようやく自分という人間の本質が見えるかなぁ、なんて思います。 ただやっぱり小市民なところは治りそうもないな、と。 まあ、治らない自分が好きだから問題ないのですが。 幸せの価値観なんてそれぞれ違うもので、比べることに意味なんてないんです。 笑っていられればそれでいい。もちろん、人を傷つけることがなければそれに越したことはないです。 |
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来週でまた一つ齢を重ねる瀬那です、こんばんは。 私が子供の頃に、任天堂がファミコンを出しました。ファミコンが生誕してからの年月を考えるとそれだけで年齢がある程度ばれてしまうのですがそれはともかくとして、ゲームソフトの記憶、というのが私は結構曖昧です。 ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー。他にも有名とおぼしきゲームはたいていクリアしたことがあるのですが、クリアしたことは覚えていても、その内容まではあまり覚えていなかったりします。 でも、友人のなかには音楽を聴いただけでどのゲームか分かったり、名台詞を一言一句覚えている子もいるのです。 これってなんでなんだろう、と思っていたのですが、もしかすると記憶の共有がなってないのかな、と考えるようになりました。 もちろんこれは、私の個人的な考えですが。 恋愛に関しても、学業に関しても、一人で完結する記憶というのは意外と稀です。恋愛にはそもそも相手がいるし、学業でも学友、先生など他人と共有する記憶というのがそのほとんどを占めると思います。 そんななかでゲームというのは、一人で完結出来てしまう遊びでした。とくにネットが発達していなかった時代、いじめられっこだった私は、ゲームという一人遊びに逃げ込み、ひとりで遊ぶことが多かったんですね。 有名なゲームというのは、買っている子も多く、そういった友達と話題を共有することが楽しくもありました。 「小さなメダル何枚集めた?」「あの召喚獣仲間にした?」 そんな会話をクラスメイトとしたことがある、と言う人も少なくないのではないでしょうか。 ところが、私はいじめられっこでしたので、そういった会話をする相手もおりませんでした。ひとりでこつこつ遊んで、ひとりでクリアする。攻略本にも規制があった時代なので、ラスボスやラストダンジョンまで解説しているものは稀で、詰まってしまうとそこからは独力でした。 だから、ドラクエ2やファイナルファンタジー3のラストダンジョンのことは結構覚えていたりします。苦労した場面なので。 ところが、あまり苦労しなかった箇所にかんしては、クリアしたはずなのにほとんど記憶に残っていない、なんてことも多いのです。 誰かと話し合うことがなかったから、記憶が定着しなかったのかな、と最近では思うようになりました。 苦労した記憶、楽しかった記憶、それを誰かと話しあい、共有するということによって、自分のものだけだった記憶が誰かとともにあるということ。データのバックアップとはまた違うけれど、でも、確認できる相手がいるだけで、その記憶の綻びを修復していける、というのは大きいと思います。 私にとってゲームの記憶はとても昔のもので、それを共有できる相手が出来たのはある程度時間が過ぎてからのものだったために、いつのまにかそれを忘れてしまったのかもしれません。 もしかすると、子供時代の嫌な記憶を思い出したくなくて、無意識にまるごと忘れてしまおう、なんて本能が勝手にやっちゃったのかもしれませんが、そのへんの脳みそのメカニズムは私に分かろうはずもなく。 楽しいこと、つらいこと。いろいろあるけど、誰かに話すと言うことは、それだけでその記憶が外界と共有される、ということで、自分がそれをいつか忘れてしまっても、話した相手が覚えていて「そういえば」なんて話しかけてくれることで、ふいに思い出せることもある。 それはとても大切で、素敵なことかもしれないなぁ、と思った瀬那でした。 |
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