2005年10月の日記

■ 普通
2005.10.26
一年ぐらい前から、ヤフオクで購入したMP3プレイヤー(シリコンタイプ)を使っていた。中国産の安物で、買ったらいきなり故障しており返品という曰く付きの代物だったのだけど、それが、ちょっと前から壊れてしまった。
いや、正確に言えば音楽は聴ける。が、ボリューム部分がおかしくなっていて、アップは出来るがダウンはできない。
つまり、上げたが最後戻せない。
いままでは音量をいじらないように注意してつかっていたのだけど、ついに今日、ホールドボタンも壊れてしまった。
で、バックの中に入れておいたら誤動作でボリュームがあがりっぱなしになってしまい、聴けるにゃ聴けるが1時間で耳鼻科行き、みたいな音量になってしまったので仕方なく音楽なしで歩いた。
このプレイヤーを買ってからと言うもの、一人で出かける時は大抵音楽を聴きながらだったので、なにもない状態は久しぶり。

とはいえ、本当ならこれが普通。

ヘッドホン外して数分で、風の音や鳥の声が聞こえてきて、こういうのをしばらく忘れていた自分に気付かされた。
おかげで、鳥のヒナっぽい声に気がついてその姿見たりとか出来たし、後ろからやってくる車の音に気がついてすぐに避けたりとか。

電車の中ではみんな携帯をいじっていて、町中あるくとみんな音楽を聴いていて。今はけっこうそんな風景が当たり前だけど、思い出してみれば子供の頃は電車に乗ると、靴を脱いで窓の外ばかり眺めてた。
流れる風景を見ながら、それだけでも楽しかった時代があったんだなぁと思い出して買い物に出かけたら、秋晴れの青空も手伝って、もやもやしていた気持ちが少しだけ晴れた気がする。

帰り道、好きな歌を口ずさみながら歩いたら散歩していた犬と目があった。こんな日を過ごせたことに、感謝感謝。

■ 本当に
2005.10.18
そこは二人を引き裂くと言われる分かれ道。
片方は、楽な道。片方は、苦しい道。
けれど楽な道は一人しか進むことが出来ません。

ある恋人たちは、男が女に楽な道を譲ろうとしました。
けれど、女は頷かない。
自分が苦難を背負うと言っても、相手だって私が背負う、といって話し合いは平行線。
そうこうしている内に口論となり、二人は険悪な雰囲気に。

ある恋人たちは、女が自分が楽な道を行きたい、と言いました。
男はそれに頷いたものの、苦しい道を進んでいった彼は、けして戻ってくることはありませんでした。

けれど、その道を乗り越えて戻ってきた恋人たちがいました。
二人は、手を取り合って、二人で苦しい道を乗り越えてきたのです。

この分かれ道の意地悪なところは、楽な道は一人でしか通れないが、苦しい道には制限がないところ。

一人なら乗り越えられない苦難も、二人なら乗り越えられる。
誰でも好きな人には苦しんで欲しくはない。
けれど、二人でともに苦労するからこそ乗り越えられるものもある。

歩調を合わせるのは難しい。
なら、手を繋げばいい。

■ 電車男に思うこと
2005.10.07
電車男の存在自体はそれなりに早く知っていたものの、天の邪鬼な性格ゆえか、その内容をちょろっと知ったのは結構日が経ってからでした。で、テレビドラマになったので、ちょろちょろと見ている内に、なるほどこういう話なのか、と思うようになって。
電車男が実在するのか、そもそも話が出来すぎなのじゃないか、なんていう話もあったりしたそうですが(聞いた話)わたしが心動かされるのは、電車男そのものよりも、彼を取り巻いていた人たちの「書き込み」でした。

たとえ電車男という存在が誰かの作り出したものであったとしても、本当にいたとしても。彼の書き込みに反応し、レスをした人たちの存在とその言葉の数々は本物であり、だからこそこの話は人の心を動かすのだな、と思うのです。

たよりなかった男が勇気を出し、その結果踏み出した一歩をたくさんの人に応援されながらより前へ前へと進めていく。その彼のために紡がれた言葉の数々にこそ、電車男の面白さの本質があるのだろうなぁ、と。

なにかを一生懸命にすることには勇気が要ります。そしてそれ以上に、それを理解してくれる人というのも必要なことがあると思うのです。応援してくれる人、支えてくれる人、気持ちを汲んでくれる人。
そんな言葉がたくさん詰まった物語が、電車男なんだと思いました。

本日(木曜)にはもう一つの最終回、というものが放映されましたが、それを見ているうちに、前から思っていた「ああ、これってこういうことなのかなぁ」と思うことがなんとなく形になったのでここに。

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好きという言葉を言うのは簡単ですが、そこにどれだけの想いを込められるかも難しければ、それを相手に伝えるのも大変なこと。
でも、だからこそ泣いたり笑ったり出来る。

不格好でもいいから、自分なりに一生懸命やったという結果が残れば、それは次に繋がっていくものだと思います。

自分の背中を押すことは難しいけれど、誰かの背中を押すことは出来る。その背中を押した誰かが、今度は自分の背中を押してくれるかも知れない。

支え合うこととは少し違うけれど、それもまた、一人では出来ないことだから。

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