2006年10月の日記

■ 嫉妬の出所
2006.10.20
自分はあんまり嫉妬という感情を抱いたことがありません。これは今に始まったことじゃなくて、わりと昔からです。
たとえば恋人が男の友達や同僚と飲みに行く、なんていう話をされても「気をつけてね」ぐらいで、それにどうこう言おう、なんて思うことはほとんどありません。
これは相手を信用しているから、という事がまず前提としてあるような気もします。けして余裕がある、わけではなくて、そもそも嫉妬という感情があんまり湧いてこない、という性格なのだと思います。

ただ、昔付き合っていた子の中には、男とドライブに行く、なんて言われたのを「気をつけてね」と言った後日、電話で「どうして嫉妬してくれないの!」なんて言われてしまい、その後なんのかんので振られてしまったこともあるので、善し悪しという点でいえば、嫉妬しない恋人、というのは決して「良い」とは言い切れないと思います。

なぜ自分が嫉妬という感情に無縁――――というか嫉妬をしないのかは分かりませんが、子供の頃にいじめられていたのが関係するのかも知れないなぁ、なんて漠然と思います。
他人を妬んだり羨ましいと思うような気持ちを抱くことに不慣れなまま育ってしまったし、却って、そういう気持ちを抱くことは妙な火種を抱えることにもなりかねなかったので、無意識的に嫉妬する、ということを敬遠してきたのかもしれません。

嫌悪は意識されていますが、無関心は意識すら向けられません。道端に転がっている石と同じようなもので、それを蹴り飛ばす人は、蹴り飛ばすことに躊躇すらない。道端に転がる石は、自分を蹴り飛ばす人間に逐一恨みを抱いていたら身が焦がれてしまう。
今にして思えば、自分は自分をいじめていた人間のことを恨んだりしたことはほとんどなかったと思います。

嫉妬という感情、それに起因する行動、というのはとても分かりやすいものだと思います。拗ねてみたり、気を惹こうとしたり、それによって相手への気持ちや、そもそも自分がもっている気持ちを認識する切っ掛けになったりするものだし、けして悪い点ばかりではないから。
妬いて欲しい、と想う気持ちも分からないではないですし。

独占欲がないわけではありません。独り占めしたい、という気持ちを感じたことがないわけでもないですが、けれど、こと恋愛に関してはそういう想いをあまり抱いたことがない自分です。

縛らなければ安心できないなんて恋じゃない、という人もいるけれど、縛られたいと思う人だって世の中には存在する。相性、という言葉で片づけてしまうのは容易いけれど、その恋愛が他人の目にどう映るのかはさておき、好きだ、という気持ちを表す方法は人により千差万別あるのだな、と思います。

自分があまり抱いたことのない感情だから、難しいです。

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