ハーレムアフター「放課後の少女たち」 晃子3

「で、さっきの話の続き……というか、これは個人的な興味で聞くんだけど。信也くんとはその後、進展あった?」
「え? 進展、って……」
 いきなり話が飛躍したので、素で聞き返してしまったわたしは、先輩の質問を頭の中で反芻した直後、
「なっ、なんでいきなりそうなるんですかっ……!」
 頬が火照るのを感じながら、ついつい言葉を荒げた。
「だって、気になるじゃない? さつきから聞いた話だと、わたしが卒業してから、ここ、使わなくなったって」
「それは、そう、ですけど……」
 使う、という表現の意味するところは言うまでもない。
「どうして使わなくなったの? ここ、便利でしょう?」
 先輩の言うとおり、校内においてこれほど生徒が密会するに相応しい場所はなかなかない、と思う。
 生徒会関係者……というか、会長のみに許された特権といっても、たぶん過言じゃないくらい堅牢な個室。
「……もしかして先輩は、そのために、わたしを会長候補として推薦したんですか?」
 この個室の権利を、譲渡するために。
「たしかに無関係ではないけど……でも、それは理由のひとつであってすべてじゃない、といったほうが正確ね」
 言ってから、先輩は居住まいを正し、わたしを見つめた。
「……いままで内緒にしていたんだけど。実はわたしね、信也くんに告白したことがあるのよ」
「えっ……? 告白って……」
 いきなりすぎて、うまく言葉を継げない。
 かろうじて、
「いつ、ですか?」
 そんなことを聞いてしまう。
 卒業してからの話なのかな、と思いきや、
「去年の、文化祭の後」
「文化祭の後って、そんな……だって、そんなの、全然」
 予想外の返事に、今度こそ言葉に詰まってしまった。
「それはそうよ、こっそりだったもの。……本当は、卒業式の日に告白するつもりだったんだけどね」
 しれっと言った先輩の顔は、どこか寂しそうだった。
「たぶん、焦ったんでしょうね。文化祭の後片付けしてるとき、1年や2年の子が、来年も楽しい文化祭にしよう、って話してるのを耳にして……ああ、わたしは来年、ここにはいないんだなって思ったら、卒業式まで待てなくて」
「それで……その、信也くんは……なんて?」
 気になって問い掛けたわたしに、先輩は首を振った。
「付き合えません、って。最初に選ばなかった時点で、俺には誰を選ぶ権利もないですから、って」
「そう、ですか……」
 なんとも彼らしい回答を聞いた途端、それを呟く信也くんの口調すら想像できて、胸が苦しくなった。
 少し乾いた唇を、思わずきつく結ぶ。
 そんなわたしをじっと見つめた先輩は、さっきよりもどこか切なそうな顔で、息を吐くように笑みを漏らした。
「……この話をしたら、晃子、そういう顔するんじゃないかなって思ってた」
「だって、それは」
「わかってる。……信也くんの答えは、つまり、わたしたちの誰が告白しても同じ結果だった、ってことだから」
 さらりと核心をつく言葉。
 それはつまり――――わたしもいま、この場で、信也くんに振られたも同じ、ということで。
「先輩……ずるいです」
 抜け駆けして――出し抜いてはいけないという約束があったわけじゃないけど――告白していた事に対してなのか、それを今まで秘密にしていた事に対してなのか。
 それとも、その結果を、こうして告げた事に対してか。
 自分でもわからないまま、ただ、そんな言葉を呟く。
「それは、分かってる。……だから、ずっと言えなくて」
 告白の記憶を思い出しているのか、先輩は目を細めたまま、ぼんやりと生徒会室の隅を見つめた。
 もしかすると先輩は、いま視線を向けている辺りで信也くんに告白したんじゃないか、という想像が脳裏を過ぎる。
 それは、あまりにもリアルだった。
「……ずるいです、先輩も……信也くんも」
 繰り返す呟きに、彼の名前を付け足す。
 けれど、そういう――告白した先輩への返答のような――ことを言える彼だからこそ好きになったんだと再認識してしまった自分が、なによりも歯がゆかった。
「……先輩が信也くんを生徒会長の後任に選ばなかったのは、そのせいですか?」
「まさか」
 わたしの問いに、先輩は迷いなく首を振った。
「彼に告白する前から、わたしは自分の後任には晃子を推薦するつもりだった」
「けど、先輩は……」
「たしかに、さっきも言ったとおり、信也くんを後任にしようと考えていた時期もあったんだけどね。でも、晃子を選んだことと、告白の結果は無関係よ。……わたしは、他ならぬあなたを生徒会長にしたかったの」
「だけど、わたしはそんな……人の上に立つようなタイプじゃないですし……それに、取り立てて何か秀でたものがあるわけでもなくて」
「……嘘つき」
 すっと、本当にさりげなくそんな言葉を呟いた先輩は、思わず言葉を飲み込んだわたしを見つめ、満足そうに笑った。
「ま、わたしも嘘つきなんだけど」
 続けてそう言ってから、また笑う。
「さつきから聞いて知ってる。晃子がこの一年、会長として不足なく務めてきたこと。……わたしね、ここへくる前に担任だった先生とお話ししたんだけれど、その先生も、今の生徒会長はとても頑張っていると褒めてらしたわよ」
「でも」
 そう言われたところで、わたし自身、自分が本当に生徒会長として相応しかったのかどうか――――、
「自信がない、って言うんでしょう?」
 わたしの心を、先輩は見透かすように言い当てる。
「あなたの気持ちに関係なく、まわりはちゃんとあなたを評価しているのよ。……だから、少しは気を抜きなさい? わたしなんてこの時期、もっとダラけてたんだから」
「ダラ、け……って……」
 先輩らしからぬ言葉に、思わずあっけにとられる。
 惚けた顔がさぞ気に入ったのか、先輩はわたしの顔をじっと見つめてから、くすくすっと微笑んだ。
「この学校、生徒会といっても会長以外の役員は部活優先もできて、わりと自由でしょう? だからこそ、会長は半ば個室として、ここを利用できるわけなんだけど」
 言いながら、先輩はまるで普段からそうしていたと示すように机の上に突っ伏して、気持ちよさそうに目を閉じた。
 ずっとわたしを見つめていた視線が外れたことにほっとしながら、けれど、それを少し寂しいと感じた自分がいる。
「わたしもね、会長に就任したての頃は自信がなくて……ううん、それどころか、卒業した今でも、わたしで良かったのかなって思う事があるぐらい」
「そんな、だって先輩は立派に」
「言ったでしょう? 似てる、って。……晃子とわたしの共通点ってね、自分の言葉に縛られるところ、だから」
「縛られる、って……」
「ありふれた言葉で言うなら責任、かしら。その正体は、自己に矛盾を作りたくない気持ちだと、思うんだけどね」
 まるで眠るように目を閉じたままの先輩は、机の上に頬を預け、独り言のような呟きを続ける。
「ほら、前に教えてくれたでしょう? さつきから好きな人……っていうか、わたしに告白したいって相談を受けた晃子が、それを否定せずに応援した、っていう話」
「あっ……はい」
 それはかなり前の出来事のようにも思えるけれど、その実、まだ2年と経っていない鮮明な記憶だった。
「好きなら、それもいいんじゃないか……だったわよね?」
「……はい」
 それについては、信也くんにも話した事がある。
「さつきの気持ちを否定することは、自分の恋も否定することになる……って、晃子は言ってたでしょう?」
 さっちゃんの事が好きだったわたしは、彼女の恋心を素直に――その相手が同性だったからなおさら――祝福出来ず、けれど、それを認めるしかなかった。
 理由は、先輩が呟いた通り。
 同性に恋い焦がれる感情を否定することは、自分の気持ちも一緒に否定することだと思ったから。
「ねえ? ……もし、さつきの好きになった相手がわたしじゃなく、男の子だったとしたら……あの時の答えは変わっていたのかしら?」
「それは……」
 即答できずに言葉を濁しながら、想像してみる。
 さっちゃんの口から、男の人を好きになった、っていう相談を受けている光景を思い浮かべようとするけれど――――でも、うまくいかない。
 それはつまり、
「……さっちゃんは、先輩だから好きになったんです」
 ということに他ならない。
「もう、それじゃ、たとえ話にならないじゃない」
 先輩は不服そうに拗ねた声を漏らした後、
「でも……そんなさつきも、なんだかんだで信也くんのことは好きになったのよね」
 溜め息混じりに、そんなことを呟いた。
「ただ……あの子の場合、信也くんへの気持ちは異性への好意、って部分からはちょっとズレてるから。どちらかといえば、信也くんのことを認めてる、って感じなのよね」
 そう言われて、妙に納得してしまう。
 実際、さっちゃんは信也くんのことが好きだけれど、それは先輩の言葉どおり、恋愛における好意とは少し違う。
「……正直いうとね、信也くんに告白したとき、わたし、自信なかったの。彼がわたしと付き合ってくれる未来とか全然想像できなくて、でも……好きだっていう気持ちを、どうしても伝えたくなっちゃって」
「先輩……」
 伝えたい。そういった先輩の気持ちが、よく分かる。
 だって、わたしもずっと、幼馴染みの少女が好きで、でも、その気持ちを伝えられないまま過ごしてきたから。
 今はもう、わたしの気持ちを、さっちゃんは知っている。
 想いを伝える切っ掛けと勇気をくれたのは信也くんで、けれど、気づけばわたしは彼の事も好きになっていて。
「お互い、大変よね。あんな……学校で自慰行為をしちゃうような変態を好きになっちゃったんだから」
「……そう、ですね」
 呆れたような口調は、けれど、自嘲と呼ぶには楽しさに満ちていて、だからつられて、わたしも笑ってしまった。
「でも、そのおかげで、わたしはこうして先輩と知り合いになれましたから」
 それは紛れもない事実だ。
「……先輩はいまでも、信也くんのことが好きですか?」
「だって、初恋だもの」
 さらっとそう言った先輩は、顔をあげる。
「わたしが晃子に生徒会長になってほしかった一番の理由はね、もっと笑って欲しかったから、なのよ」
「笑う……ですか?」
「そう。……一年前、クラス委員だったあなたは、生徒会までたまに書類を届けにきてくれたでしょう? でも、そのときの晃子って、いつも気むずかしそうな顔していて」
「それは、だって」
 あの頃のわたしにとって生徒会長は、大好きなさっちゃんが憧れる存在であり、羨望と嫉妬の対象だった。
 そんな気持ちをもったまま、笑顔なんて浮かべられない。
「まあ、そうよね。理由を知ってる今なら、あのときの晃子の気持ちも分かるから。……でも、この教室で信也くんを交えて4人で過ごしていたとき、あなたはずっと笑顔で……わたしね、その笑顔を見ていて、なんて綺麗なんだろう、って思ってたのよ?」
「綺麗って、そんな……ことは……」
 面と向かって褒められたことに何より驚いて、自分でもびっくりするぐらい頬が熱くなる。
「だから、この場所をあなたに譲りたかった。わたしね、あの笑顔が好きだったから。わたしが卒業しても、この場所があって、さつきと信也くんがいる限り……あなたは、笑っていてくれる気がして」
 本気とも冗談ともとれる曖昧な口調で呟いた先輩の顔が、暮れ始めた夕陽でオレンジに染まっていく。
「やっぱり、この部屋にいる晃子が一番綺麗。……ねぇ? こうしてると一年前の事、思い出してこない?」
「せ、先輩……っ」
 もし、本気だったら――――それを意識した途端、わたしの頬は夕陽に染まる先輩のそれよりも赤くなりそうで。
「……冗談、ですよね?」
 だから、否定してほしかったのに、
「まさか」
 なんて言われては、為す術がない。
 困るわたしの気配を察したはずなのに、それでも意地悪な笑みをやめない先輩は、
「……ほら、一年前は何度もしてたことでしょう?」
 席を立ち、わたしの隣までやってきた。
 夕陽を背負う先輩の顔が、息がかかりそうなほど近い。
「あっ……」
 三つ編みの髪を撫でるように、わたしの両肩にそっと手を添えた先輩の唇が、ゆっくりと近づいてくる。
 ほんのわずかに開いた隙間から見える舌の感触を知っているんだと思い出した瞬間、堪えていた何かが、きしきしと音を立てた。
「せん、ぱい……っ」
 思わず手を伸ばし、先輩の肩を掴む。
「……晃子?」
 覗き込むような視線は、挑発的というより、むしろ不思議そうな感じだった。
 どうして止めるの、とでも言いたげな。
 だから、その理由を告げるため、口を開く。
「わたしが……いえ、みんながこの教室を使わなくなったのは、きっと……先輩がいなくなったから、です」
 それは、先輩に問われてから自問していた事だった。
 学校内で密会するのに最適な個室を管理する権利を与えられても、それを行使しなかった訳。
「……あの関係は、わたしがいて、信也くんがいて、さっちゃんがいて……でも、なにより先輩がいたから……だから、成り立っていたもので……先輩がいなくなったら、自然と、しなくなって……」
 3年生になったことでそれぞれ忙しくなった、というのは切っ掛けのひとつにしか過ぎないはずだ。
「それは、わたしがエッチだった、ってこと?」
 囁くような声に、どきっと胸が高鳴る。
「そ、そういう意味じゃなくて……っ! ただ、その……先輩がいないと、物足りない、っていうか……あ、これもそういう意味じゃなくて……!」
 うまく心の中にある気持ちが言葉にできないもどかしさに歯がゆくなりながら、それでも、伝えようとする。
「……誰かが欠けてしまった瞬間、あの関係はおしまいだったんです。それが先輩であっても、信也くんであっても、さっちゃんであっても……たぶん、わたしでも、関係なく」
「つまり、晃子はこう言いたいの? 四人なら、またエッチなことをしてもいい、してみたい……って」
「そ、れは……っ」
 即座に否定できなかったのは、先輩の艶やかな唇を、その吐息を久しぶりに体感してしまったから、だろうか。
「……たぶん、ですけど……四人、なら……」
 恥じらいを押し込めて押し込めて、けれど先輩に嘘はつけないから、それが最大限、わたしに出来る譲歩。
 そんなわたしの耳元に、
「それなら今度、機会、作りましょうか」
「えっ……?」
 思いがけない囁きに対し、わたしは気づけばうつむかせていた顔をあげた。
 肩に置かれた手が離れると、わたしからゆっくり距離をとった先輩は、憎らしいほどに愛らしく、悪戯っぽい笑顔で、
「晃子がエッチな子で良かった」
 なんて、呟いた。
「わたし、そんな……っ」
 反射的に否定しようと思ったけれど、それが事実であることを目の前の先輩は知っているのだから意味がない。
 だってわたしは、先輩と唇が触れ合うかもしれないという可能性だけで、あんなにもドキドキしていた。
「あ……」
 先輩がまた、わたしの肩に手を置く。
 今度はちょっと力が込められていて、その強さに、自然と声が漏れてしまう。
「せん、ぱい……」
 艶やかな唇が近づいてくると、喉が自然と鳴って、それが恥ずかしくて、隠そうと唇をきゅっと結んだ瞬間、
「こっこー、せんぱーい」
 ドアの向こうから聞こえてきた声に、わたしは何とも言えぬ思いを胸に秘めながら、そっと溜め息を吐き出した。

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