ハーレムアフター「放課後の少女たち」 晃子2

「えっと……」
 書面の山、とまではいかないけれど、各所から提出される用紙の量は日増しに増えていく。
 それらに目を通し、自らの裁量で可否を定める。生徒会室でカツカツと筆記具を動かす時間は、わたしの学校生活において、もはや欠かせないものとなっていた。
「このペースなら、今日中に……」
 文化祭が近づく今ぐらいのシーズンは、生徒会役員もそれぞれ忙しく、生徒会室にわたし一人、ということも多い。
 そのせいか、最近は独り言が増えた気もする。
 生徒会役員であっても部活動その他があればそれを優先するべし、というのが我が校の伝統なので、会長が忙しくなるのは仕方ないことで、こういうときのために、生徒会長は臨時役員を選定することができる。
 これは裏技のようなものなんだけれど、去年、綾崎先輩はその臨時役員として信也くんを選び、結果としてわたしとさっちゃんも、それを手伝った。
「っと……ん?」
 目を通し終えた書類を束ね、とんとんと整えていたら、その音と重なるようにドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞー?」
 少し声を張って、廊下に向けて返事をする。おそらくは文化祭絡みの申請かな、なんて思っていたら、
「どう? 調子は」
 そんな声をとともに、ドアを開けて入って来た人物を見た途端、あまりにも思いがけなくて息を呑んだ。
「せん、ぱい」
 生徒会室という空間に彼女が現れるのは実に久しぶりで、制服じゃなく私服姿であることが、その鮮烈さをより際立ったものにしている。
 前生徒会長、綾崎梨衣。
「久しぶり。といっても、先月会ったばかりだけど」
「あ、はい……それは、そうなんですけど、えっと……」
 確かに、先月さっちゃんと一緒に3人で買い物にいった、けれど、校内で会うのは当然卒業以来だ。
「先輩、今日はその、どうして」
「どうして、って……陣中見舞い。どう? 調子は」
 入って来たときと同じ台詞、同じ笑顔。
 わたしはそこでようやく――まったく馬鹿馬鹿しいことに――これが現実であることを認識できたらしい。
 ふぅ、と一息吐いて、少し高鳴った胸を落ち着ける。
「文化祭に関しては、去年、先輩をお手伝いした経験もあったので、どうにか。他に関しても、一応は」
「そう。……で、信也くんは? 彼のことだから、臨時役員を買って出てるんじゃないかな、って思ったんだけど」
「それは……確かにそうだったんですけど……。今朝、風邪をひいたから今日は休む、って連絡があって」
 先輩の言うとおり、信也くんは文化祭が近づくと自ら臨時役員をすると言いだして、わたしを手伝ってくれていた。
 その結果、信也くんとは放課後の生徒会室で二人きりになる機会もあったわけだけれど……彼のほうから、わたしに何か仕掛けてくる、ということはなかった。
「信也くんとは本当に卒業以来だから、会えるの、楽しみにしてたんだけど……しょうがない、か。文化祭当日にも顔をだすつもりだから、そのときまで再会はお預けね」
 馴染みのある、ちょっと含みをもたせた言い方を聞き、本当に綾崎先輩なんだなぁ……なんて実感してしまう。
 それはきっと、ここが学校だからだ。
 外で会うときはそれと意識しないで済むけれど、こうして校舎内でまみえる先輩は、前生徒会長、綾崎梨衣に他ならないわけで。
 わたしと彼女は、この生徒会室で何度もキスをしたし、それ以上のことも――信也くんやさっちゃんが一緒のときだけ、とはいえ――経験した間柄、なのだから。
「……陣中見舞いって言ってましたけど、このこと、さっちゃんは知ってるんですか?」
 なんだか火照ってくる頬を隠すように、ややうつむき加減で問い掛ける。
「ええ、昨日のうちに伝えておいたから。……メール、見せて貰わなかった?」
「メールって……あ、それで……」
 朝の会話、終わり間際のさっちゃんの挨拶が妙だったことを思い出し、メールの文章と照らし合わせて腑に落ちた。
 さっちゃんのことだから、きっとわたしを驚かせようと、先輩が来ることまでは言わなかったに違いない。
「わたしの腕前を拝見しにやってきたんですよね、先輩」
「そういうこと」
 ふふっと笑った先輩は、懐かしそうに生徒会室の中を見回したあと、
「座ってもいい?」
 わたしの正面にあるパイプ椅子の背もたれに手をかけた。
「もちろん、かけてください」
「ありがと」
 すっと椅子をひき、衣服を整えながら腰掛ける。そんな一挙手一投足にも、目を奪われてしまう魅力があった。
 本当、こんな人がいるんだから困ってしまう。
 先輩と親しくするようになってから、さっちゃんが憧れてしまったのも無理のない事だと、何度思ったことか。
 それは嫉妬のようでありながら羨望にも似て、なにより、同じ男性に好意を抱いたことへの共感も含まれていた。
「で? メイド喫茶の申請、どのぐらいあったの?」
 椅子に座るなり、先輩は近くにまとめて置いてあった申請書をぱらぱらとめくった。
「その、実は2クラス、やりたい、ってところが」
「そう。やっぱり、去年のが効いてるのかしらね」
 嬉しそうに笑いながら紙束をめくる手つきは、やっぱりというか、なんとも様になっている。
 ちなみに、去年の、というのは先輩が率先して計画、実行してしまったメイド喫茶のことだ。
 発案者自体は信也くんだったんだけれど、実際に取り仕切ったのは先輩で、生徒会室が出店に使われたのも、メイド喫茶が出店されたのも、文化祭史上初めてのことだった。
 もっとも、一番の話題は生徒会長自らメイドとして給仕にあたったことで、当日はすごい騒ぎになったんだけど。
「会長になったからこそ分かるんですけど……先輩、あれを通すのって大変でしたよね?」
 いくら生徒会長に権限があるとはいえ、生徒会室でメイド喫茶をやるなんてイレギュラーなことだから、その分、各方面に対して色々と根回しが必要だったはずなのだ。
 でも、1年前の先輩はそういった苦労を微塵も感じさせず、文化祭当日なんて、見てるこちらがハラハラするぐらいの激務を見事にこなしてしまった。
「確かに、ちょっとは無茶もしたけれどね。でも、破天荒なこと、卒業までに一度ぐらいはしてみたくて」
 さらっと言ってのけた先輩は、
「それにあの時は、4人でなにか思い出を作れたらいいなって……思っちゃったんだもの」
 ふと真顔になり、そんなことを呟いた。
「……ね、晃子? 生徒会長になったこと、後悔してる?」
「え? どうして、そんな、いきなり」
 本当、出し抜けの質問だったから驚いて、わたしは慌てながら先輩に聞き返してしまった。
「だって、あまり乗り気じゃなかったでしょう?」
「それは、その……てっきり、先輩は信也くんを後任として推薦するものだとばかり、思ってましたから」
 実際、信也くんが臨時役員として生徒会室によく出入りしていた――生徒会長との仲が少し話題になった――頃、会長は彼を後任に選んだんじゃないか、という噂もあった。
 でも、先輩が選んだのは、信也くんじゃなく、わたしで。
「たしかに、最初は信也くんを後任に出来たら……って思ってたんだけどね。みんなで一緒に過ごすうち、晃子のほうが適任だなって、そう思ったのよ」
「一緒に過ごすうち……?」
 それはまったくの初耳で、だから思わず、確認をとるような形で聞き返してしまった。
 去年の生徒会長選挙前、先輩から後任として推薦したいと言われたとき、それを承諾してしまったのは――断り切れなかった、というのもあるけれど――きっと自分が当選することはない、なんて思っていたからだ。
 けれどわたしは、こうして選ばれてしまった。
 引き継ぎなどもあったから、先輩とは二人きり、この部屋で過ごしたことも何度かあったけれど……でも、先輩はわたしを指名した理由に関して、語ることはなくて。
「……聞いても、いいですか?」
「もちろん」
 なにを、と彼女は言わなかった。
 ふふっと笑う唇が、まるでこちらの気持ちなど見透かしてるみたいで、それが少しだけ羨ましくて、悔しい。
「わたしが生徒会長に適任だと思った、その理由を教えて下さい」
 いままでずっと聞けなかった事を尋ねるわたしに、先輩は笑顔のまま、ほんの少しだけ目を細めた。
「似てる気がしたのよ。わたしに」
「似てるって……わたしが? 先輩に?」
 思いがけない言葉を、反芻するように問い返す。
「もしかしたら、意外だって思うかもしれないけどね。でも、似てると思うの。わたしと、晃子は」
 そう言ってくすくすと笑った後、
「……わたしたち、信也くんのことが好きでしょ?」
 じっとわたしを見つめてくる先輩。
「それは……」
 少し気恥ずかしくて目を伏せたくなったけれど、どうにか堪えて、その瞳を見つめ返した。
「去年のちょうど今頃、はっきりしない信也くんの態度を確かめるためとはいえ、わたしは、さつきとあなたから……エッチなことをされちゃったわけだけど」
「う、はい……」
 少しむすっとした目線に、思わず恐縮しながら頷く。
 あの時は勢いも手伝い、わたしとさっちゃんは二人して、半ばいじめるような形で先輩に迫ってしまった。
 先輩にとって、あの出来事はかなりの不覚だったらしく――その後の背徳的な関係はともかく――あの一件に関してだけは、話すときに拗ねる自分を隠そうとしない。
「ともかく。それからわたしたちは、この部屋で一緒にお昼を食べたり、それこそ、人には言えないような、あんな事やこんな事をしたわけだけど……そのなかでね、晃子とわたしは似てるなって思うことが、いくつもあって」
「似てるって、でも……そんな、先輩とじゃ、全然」
 在学中は男女問わず生徒たちの憧れであり、先生からの信頼も厚かった文武両道の優等生、綾崎梨衣。
 そんな彼女と、目立つことなく、クラス委員長がせいぜいだった自分の、どこが似ているというのか。
「だから、さっきも言ったでしょう? わたしたちは信也くんのことが好きでしょ? って」
「それは……そう、ですけど……でも、それだけで」
「別に、それだけ、ってこともないんだけど……っと」
 言いかけた先輩はそこで言葉を句切ると、バッグから携帯電話を取りだした。
 マナーモードらしく、着信を知らせるための振動音が、わたしの耳にも聞こえてくる。
「ごめんね、ちょっと待って」
 メールのようで、開いてそれを確認した先輩は、
「さつきから。もし良かったら、今日はみんなで一緒に帰りませんか? って」
 と、わたしに尋ねてくる。
「わたしは、かまいませんけど……」
 そう返事はしたものの、さっきから先輩のペースに引き込まれている気がして、どうにも落ち着かない。
「じゃあ、せっかくだしみんなで信也くんのお見舞いにでも行ってあげましょうか?」
 本気か冗談か、くすっと笑った先輩は手早く返信を済ませると、そのまま携帯電話を机の上に置いた。

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